2019年10月30日水曜日

遺伝学用語の混乱:variation、多様性か変化性か

pubooからの転載です。

 [遺伝学用語の混乱]のうち、特にvariationを多様性としている部分について、変化性という名称の方が本来の訳である根拠を示す。ただし、すでに多型とそれなりにうまく区別され、diversityとの混乱も比較的抑えられていることから、語源学的に変化性の方が適切と検証したところで、本当に改定しなければならないものかどうかは、正直なところ分からない。[遺伝学用語の混乱]よりも遥かに後ろに位置する節となったのは、NIPTと、[フィルターされた人々による...]の節の様々なフィルタリングにより事実上の選別が行われている考え方を必要とするためである。

(日本人類遺伝学会が2009年に行った改定§ より)

1. genetics 遺伝学「意味:遺伝と多様性の科学」 遺伝学「意味:遺伝の科学」

1.本来 heredity とvariationの科学の意味で定義されたgeneticsがheredityのみの科学と解釈されがちな「遺伝学」と訳されたため、カバーする範囲が狭く解釈される傾向にあり、日本社会では「遺伝」が暗いイメージに結び付きやすい。遺伝学という訳語を変化させることはもはや困難であるものの、遺伝学が「遺伝と多様性」の科学であると改めて明確に定義する。

 遺伝と多様性の両方が、英語から導入されたにも関わらず元のニュアンスが保存されていないため、この手の用語改定の中で、意味を確認したり定義したりせずに唐突に使用すべきでない用語である。本節では多様性の方にふれる。

2. variation 多様性(バリエーション)         変異(彷徨変異)

2.初期の日本の遺伝学者がvariationを「変異」と訳し、それを「彷徨変異」と「突然変異」に分類したため、その後の用語と概念が混乱している。また、mutationに「突然変異」という問題のある訳を当てたため、更に用語と概念が混乱した。「突然」の用語は適当ではなく、多くの現在の研究者は「変異」をmutationの意味に用いている。以上の混乱を整理し、世界的な用語と概念に矛盾しないようにするため、variationに「多様性(バリエーションも可)」、mutationに「変異(突然変異も可)」を当てる。これに合わせ、mutantは「変異体(突然変異体も可)」、variantは「多様体(バリアントも可)」の訳を当てる。多様体は数学では別の意味(manifold)を持つが、使用される分野の違いを考えれば、混乱することはまずないと思われる。また、「多様性」は生物学全体、あるいは生態学ではdiversityの訳に用いられているが、意味は類似しており、混乱は大きくはない。

 "2.variation"について、「多様性(バリエーション)」との改定は、理想を言えば「変化性(バリエーション)」であった。「多」「様」というのは"polymorphism"を連想させ、「多型」との間で多少の混乱を生み出しているが、それほど混乱は大きくないはずである。"variation"は、"vary"「変わる」が語源で、直訳は変化であり、連続的な変化をイメージさせ、「多」という状態の数が数えられるかのような表現とあまり一致していない。変化だけでは一般用語と混じるため、学術用語であることを示すよう「性」をつければ「変化性」ということになる。多型とニュアンスが混じりやすい多様性よりも変化性の方が本来は合っていると思う。

 問題はもう一つあって、『「多様性」は生物学全体、あるいは生態学ではdiversityの訳に用いられているが、意味は類似しており、混乱は大きくはない』と述べられている部分である。ヒトに対する多様性と、ヒト以外の動物、生物に対する多様性は、当然別のものである。ヒトは生命倫理と人権によって厳重に保護されるべき研究対象である。他の遺伝学的な研究対象とは当然異なる。

 次の図に示すように、新型出生前診断(NIPT)により個体差ひいては多様性を積極的に制限するということが行われている。2013年以来、事実上の生まれの選択、生まれの制限により、自然な多様性から、人工的な多様性へと大きく方向転換したのである。すでに我々は、最大多数の最大幸福の論理に基いて、皆が高齢化の中で幸せに暮らせるよう、医療的高負荷、短命患児を間引いている。これは患児や当該の家系、高齢出産の夫婦、産婦人科医だけでなく、医療の負担ということを通じて皆の問題なのである。短命と一言で言っても、症候群なので、重症度の幅が広く、どこまで短命か分からないまま今現在も間引きが行われている。本当に短命なのか、本当にそこまで重症度が高いのか、もっと基準と診断をはっきりさせるべきではないだろうか。

 このような現状があって、多様性という用語について考えた時に、ある程度は、ヒトに対する多様性は、人権の幅の中に制限するということを、我々は考えてもいいのではないか、と私は思う。やはり、障害があるから産まないという意思決定も、半分は遺伝因子、半分は環境因子によって構成されるまだ見ぬ我が子という存在に、意図的にその新しい生命に他人より劣った遺伝因子を与えて貶めるということもまた倫理的問題があるため、人権の観点を強調して、肯定されるべきだと思うのだ。ただし、問題は本当にそこまで大きな障害かどうかなのである。同じダウン症候群の方々の間でも、あまりにも軽度と重度が違いすぎる。18、13トリソミーについては、一年生存率が20%未満なので、産まないという判断を私個人としては妥当と思うが、ダウン症候群のうち一年間生きられないと言われている4~12%かどうかを、もしも事前にNIPTで一年生存率の予測が分かるようになれば、妊婦の方々自身に、より正確な予測を提供して、判断していただくしかないであろう。極端な話、そういう予測ができるのかどうか現時点では分からないが、50年生存率の予測が80%となった場合に、そういった生命を間引くのは、やはり間違っていると思う方々の方が多いのではないだろうか。

 大げさな言い方をすれば、NIPTによりヒトの生まれの定義が変わった。特定の特徴を持った個体がかつてないほど積極的に排除されている。これまで自然だった多様性の状態から医療的、積極的にフィルターして制限を設けようとしているのだ。ただ、自然だった多様性と思っているものも、実は社会的に高齢妊娠になってしまう状況が作られているという意味で、完全に自然だったわけではない。文明化で晩婚化し、社会保障の不安で高齢妊娠が増えて、人為的な原因でトリソミーが増えているのだ。しかし、やはり、医療的な手段によって、大多数の人口を対象として生命のフィルタリングが系統的に導入されたのは、NIPTが日本の、人類の歴史上、初めてと言ってよいであろう。

 こういった状況下で多様性という用語を考えるにあたって、厳しい言い方をしてみる。遺伝性疾患の変異と、生物多様性を生み出し進化を引き起こす変異の間で、発生の仕組みに違いがなく、遺伝性疾患の患者は主として感染症に勝つために生物多様性を獲得するための進化の犠牲者である。したがって、生物多様性をヒトに対して無条件に肯定するということは、遺伝性疾患で苦しむ患者がもっと増えてもよいのだと言っているのとあまり違いがない。また、そういった患者は生物多様性によって自然に発生したのだから、もっと放置してもいいのだと言っているのとあまり違いがない。つまり、生物多様性と、ヒトで人権に基いてNIPTといった手段で制限されようとしている多様性を混ぜてはならないのである。

 英語では生物全体に対してはdiversityという用語を用い、ヒトに対してはほぼ必ずvariationという用語が用いられている。それなりに区別されているのだ。だから、日本語でも本来は両方が同じ多様性という用語であってはならない。これらはほぼ同じ意味だと日本人類遺伝学会は説明しているが、語源学的ニュアンスの違う用語である。diversityについて調べる。

diversity=>divert
divert (v.)
early 15c., from Middle French divertir (14c.), from Latin divertere "to turn in different directions," blended with devertere "turn aside," from dis- "aside" and de- "from" + vertere "to turn" (see versus).

このdiveristyの語源に合致するように、Wikipedia英語版のGenetic diversityでは、系統樹の上での進化の「方向性」が様々なように説明されている。つまり、日本語に冗長であろうとも誤解の少ないように訳すとすれば、diversityは多方向性、または多向性である。多様性ではない。しかし、残念ながら、ヒットカウント分析で、他方向性や多向性は十分な検索結果数を示さない。

"多向性" 約 101,000 件
"多方向性" 約 53,200 件
"多指向性" 約 12,600 件

(グーグル検索、2014年12月15日)

多向性が一応、上位にあるため、多少中国語が混じっているという違和感はあるが、あえて言えば、Genetic diversityは遺伝学的多向性、または、起源的多向性である。遺伝的多向性では、geneticではなくhereditaryと対応してしまうため、厳密さを追求する限りは遺伝的多向性という訳はありえないだろう。実際問題として、便宜上はありうるが。geneticは継承に重きをおかず発生に重きをおいた用語なので、ニュアンスとしては後者の方が正確である。また、もともと漢字自体が中国のものだから、中国でマイクのdiversityが多方向であることを多向性と言っているようなので、意味としては、合致しているし、私自身としては、近年は日本語から中国語へと導入した工業用語が多かったはずなので、逆にdiveristyについてのみ日本語が中国語に合わせてもいいのではないかと思う。もっとも、NIPTもある中国人が米国で学んで作った技術なので、これからもいずれ徐々に中国語から日本語への用語の導入が進むものと思われる。

 variationのvaryの方は空間的に変わるのか、時間的に変わるのか、物理学的にはどちらなのか区別したいところだが、実際には両方の場合があるようだ。だから、変化性あるいは多様性と訳して問題ないが、空間的、時間的のどちらの場合も含めて英語では述べていることだけ頭に置いておいた方がいいと思われる。

 Wikipedia英語版のページで言うと、Human genetic variationは、ヒトの遺伝学的変化性、または、ヒトの起源的変化性である。Genetic variationは、あえて言えば起源的変化性である。Genetic variabilityは、あえて言えば起源的変化可能性である。Biodiversityは、あえて言えば生物多向性である。Species diversityは、あえて言えば種多向性である。

 Biodiveristyの中に、次の3つの成分があるそうである。

taxonomic diversity
分類学的多向性(種多向性)
ecological diversity
生態学的多向性
morphological diversity
形態学的多向性

3つの場合でdiveristyで統一されていることから、おそらくだが、variationというのは、ローカルな変化をイメージし、diveristyというのが、大きな方向転換を含むのではないだろうか。つまりBiodiveristyのトップに"degree of variation of life"とあるのは、導入として分かりやすい変化を思い浮かべさせる意図があると思われ、その後に、大きな方向転換の説明が来ているように思われる。読者に分かりやすい部分から説明を始めるという、英語の説明文の意図を汲み取れずに、Biodiversityが最初にvariationで説明されているから、この2つが同一であろうという話になってしまったのではないだろうか。

 結局のところ、生物界全体のgenetic diveristy、biodiversityとちがって、ヒトにいたってはhuman genetic variationという、種内のローカルな変化について述べるため、variationとしてあると思われるので、やはり、diversityを多様性としようが、多向性としようが、variationはdiversityとは関係なく原語に忠実である必要があり、変化性であろうと思われる。


 日本人類遺伝学会による「遺伝学」の用語改定に話を戻すと、「heredityとvariationの科学の意味で定義されたgenetics」というのは、確かに過去においてはそう*なのだが、シーケンシングによって父母由来の変異が見分けられるようになった現在では、既に時代遅れの話である。[コモンとレア...]の節で述べたように、一つだけでは良性と見られる、つまりどちらかというと多様性のイメージに近い、SNPsの集合によって、アルツハイマー病といったコモンディジーズが引き起こされ、その一方で稀な変異により重度の単一遺伝子疾患が引き起こされ、その中間にBRCA遺伝子による乳がんが存在する。これらは頻度も重症度も連続的に分布しており、重度だからheredityだ、軽度だからvariationだとはっきり区別できるものではない。更に染色体異常症や、ヘテロプラスミーによるミトコンドリア病といった、実に様々な遺伝性疾患が存在し、やはり様々という限りは、遺伝性疾患も広義の多様性の中に含まれるはずである。更には、多様性という言葉の本質として、様々なものを広く含む方向で解釈するのが妥当であり、狭く解釈するのであれば、それは多様性という言葉そのものと自己矛盾する。だから、heredityとvariationを合わせて遺伝学だというのであれば、その遺伝学が文脈が与えられないとheredityとしか日英翻訳できない方がおかしいのであって、variationを強調するほどvariationがdiversityと区別されずに多様性と英日翻訳されている曖昧さが更に導入されてしまう。

 だから、ヒトの多様性と動物の多様性が混同されかねないよう、他の動物のdiversityを多向性として、variationを多様性とするというのでも、状況は一応は改善される。しかし、もっともよいのは、polymorphismとも区別して、diversityを多向性、variationを変化性とする選択肢である。

フィルターされた人々による生まれの平等性、不平等性の支配

pubooからの転載です。

 [新型出生前診断...]の節と[着床前診断...]の節で、NIPTとPGDの間で格差を付けた導入のされ方が、既存の患者に対する配慮よりも採血で済むという便宜が優先されたように見受けられ、[遺伝学用語...]の節で、「多様性」という用語の導入のされ方として、単純な生物学的多様性よりも「人権に基づく多様性」が強調されるべきなのに、そうなっていないと述べた。こういったこと、つまり、遺伝性疾患の既存の患者を軽視したかのような意思決定が国の単位で次々になされること、しかも、学会のガイドラインや見解という形なので、国会を通っていないために民意が反映されずますます不平等に見えるという傾向、この現象を説明するために図を描いた。

 学会のガイドラインや見解が、生物学的・社会的フィルターを通り抜けた人々、つまり大学教授や医師の中の限られた層だけによる国民全員、その中で特に遺伝性疾患の患者の家系に対する意思決定を行っている現状を示したものである。私がNIPTとPGDの対象疾患についての国民投票などと持ちだしている理由である。[進化と遺伝病...]の節の「見えないフィルターによる必然性の増大」の図がすでに生物学的フィルターを描いたものなので、その後の過程として社会的フィルターを結合させたものである。つまり、何が言いたいのかというと、生物学的フィルターを基盤にして社会的フィルターが形成されることにより、遺伝性疾患を患うような家系は意思決定に参加できない仕組みが、学会によるガイドラインであり、見解なのである。むしろ、目に見えるような遺伝性疾患の要素が少しでもあったならば、結果として徹底的に排除される仕組みになっている。「目に見えるような」というのは後述する例外があるからである。

 図を上から辿ると、親の世代から来る卵子・精子から新生児までは、[進化と遺伝性疾患...]の節で述べた通りである。膨大な数の変異と淘汰が、出生までの間に起こり、生き残った胚だけが新生児となるが、その後も過酷なフィルターが待ち受けている。「遺伝病(先天性異常等)」により、小児のうちに天に召され、また「感染症(インフル等)」との闘いで、CPT2に変異があるとインフルエンザ脳症を起こして重度障害を負ってしまう方々もいる。「若年自殺(いじめや病苦)」の段階から、社会的フィルターの傾向が強くなるが、社会的フィルターと生物学的フィルターを完全に分離することはできない。例えば、自殺の中にも病苦によるものが含まれるからである。「進学高校入学試験」「大学入学試験」「医師国家試験など専門試験」と進んでいって、上司との人間関係などで「社会的挫折」を負わなかった者だけが医局に准教授などとして残れても、ここに至るまでのストレスなどで「うつ・自閉症悪化(理系の職業病)」して教授にまで登れない者も多いだろう。そうやって生物学的要素込みの社会的フィルターを生き残った教授陣とそのお気に入りの部下だけによって学会のガイドライン・見解というのは作られるので、「遺伝病(先天性異常等)」という早い段階で排除されてしまう遺伝性疾患の患者の考えから遠く外れた内容になるのは当たり前のことなのである。これが私が国民投票か、最低でも国会を通すべきと主張する根拠である。

 ここまでフィルターされた限られた人々で決めてしまっても、現場に出ている産婦人科医や小児科医といった責任が重くて、重症例を診ている人々が中心になっているのであれば、まだ納得いくのだが、[遺伝学的検査のガイドラインの乖離]の節で述べた10学会ガイドラインのように、本当に遺伝性疾患の悲惨な現場を知っているのか疑わしい人々、それも我々が接したことがないと思われる職業の人々が多く含まれていると、口を挟んで理屈をこねまわしているのは、実は軽症例しか知らない人々なのではないかと思えてくる。具体的には、もしかすると遺伝カウンセリング系の人々が、大きな障害になっているのではないだろうか。なぜなら、本当に悲惨な症例というのを経験したことがなく、現場を知らないからである。それにも関わらず対象の疾患を診ているからと主張してガイドラインに口を挟める。現場とは、具体的にはrare genetic disorders in babiesで画像検索した結果のような世界のことである。なお、このキーワードはグーグルのオートコンプリートによって得たもので、この手の検索キーワードとしては2014年11月現在世界的に最も頻度が高いはずのものである。こういった世界を知らずに、フィルターされた自分達が中心の世界観で判断すれば、「多様性」という言葉をありがたがって、生物学的多様性をそのままヒトに対して適用できるかのように誤解してしまっても無理はない。繰り返しになるが「人権に基づく多様性」と述べてもらわないと、まるで遺伝性疾患を持って生まれてくるのを運が悪かったのだから許容せよと言われているようだ。生存権を蹂躙するほどの多様性を誰も望んで生まれてきたわけではない。あくまでヒトの多様性は人権の幅の中に制限されるべきものなのである。

 小児科医や産婦人科医は、決して全てとは言わないが多くの医師が、遺伝性疾患の悲惨な世界を知っているはずである。なぜならこういった患児が生まれてしまったときにどうすべきか、責任問題でもあるし、想定しておく必要があるからである。そもそも生まれた時点で1年生存率が50%を切っていると予測できるような症例は、より重度の患児を厚く診るという倫理の観点から対応するのは限界があり、その限界に悔し涙を流した小児科医は多いはずだ。しかし、遺伝カウンセラーの口からはどうも具体例として軽症例ばかりを挙げていて、重度の例は統計でしか認識していない気がしてならない。今までに2回遺伝カウンセリングを受けているが、これが私の印象である。それなのに同じ疾患を診ているからと口を挟む権利だけは確保されている。理屈ばかりがこね回される事態の原因はこういった事情が主なのではないだろうか。複数の学会の間で学会間のパワーバランスに振り回されて、より重度の患児を厚く診るという倫理を省みる余裕がないまま、より重度の症例を診ている医師により大きな決定権が与えることができず、ガイドラインが作られているのではないだろうか。これが、最も重度の遺伝性疾患に対応できるPGDが規制され、比較的長期生きられるダウン症候群の間引きを主なターゲットとしてNIPTが実施されてしまう遠因なのではないだろうか。しかし、あくまで遠因であり、直接的に日本人類遺伝学会がPGDNIPTの見解に口を出したようには見えない。共著にもなっていない。むしろPGDという重度寄りではなく、NIPTという軽度寄りになっている原因は、最終的に重度の患児が天に召されるのを見とる現場の小児科医が口を出していないことに原因があるのかもしれない。産婦人科医は生まれた際の悲惨さは知っていても、患児が1年間闘って天に召される時のご両親の沈痛さは把握していない可能性が高い。組織のしがらみの中でバランスをとるのが難しいのかもしれないが、患児の出生と最期、両方に配慮してPGDとNIPTのガイドラインは制定していただけることを願ってやまない。

 もう一度、図の説明に戻って細かい点を述べると、遺伝病以降は、生きた人口が存在するが、社会的な意思決定の中央へと到達しにくくなってフィルターアウトされる、と考えている。若年自殺は亡くなった人口が多いので、例外として扱った方がいいようにも思えるが、未遂による後遺症も込みで考えると、必ずしも例外とは言えない。うつ・自閉症の悪化のうち、うつについてはよく知られていると思うが、先天性のものを含めて高機能自閉症は理系で罹患率が高い***、言ってみれば理系ひいては医師の職業病である***。これが本節の最初に「目に見えるような」遺伝性疾患は排除されるが例外があると述べたものである。なお、本著では、「遺伝病」を狭くて遺伝性の高い単一遺伝子疾患を示し、「遺伝性疾患」を疾患の範囲を広めにとって染色体異常症を含んで用いている。今回も後述する理由で遺伝性がそこそこ高いと証明されれば遺伝性疾患の範囲に含めていいだろうと考えた。図の最後の段階として、左側の細い線で描いたように、親から子へと社会的ポジションが受け継がれていく場合もあるだろう。それほど多くないと見込んで細い線として描いた。子で遺伝性疾患が発生して初めて、現在この生まれの平等性・不平等性を取り仕切っている社会の意思決定メンバー諸氏の中には、生物学的多様性など誰も望んでいないと気づくものがいるのだろう。

 だったら、多少は、生まれの不平等性を味わっていただいてもいいだろう。うつと高機能自閉症を医師法の相対的欠格事由の中に含めるのか、統計的かつ遺伝学的に調査をして、いずれ国会で議論するのだ。現在のところはうつも高機能自閉症も精神疾患ではないために該当しないが、近年、医師による不祥事や医療過誤の影に、統計をとると、うつや高機能自閉症を患っている一部の医師に偏って問題を起こしているのではないかと推測するのは、誰でも思いつくことだ。医師という画一化された職業に限ってGWASを実施すれば、一般人口よりもかなり正確に予測罹患確率が出るだろう。GWASで職業を限れば限るほど環境因子が排除されて数値が正確になることが分からないような馬鹿な医師がいらっしゃるとでも? 医師という人口を対象に研究すること自体が医学の進歩を加速するはずなのに、なんでこれをやらないのか、という話である。画一化されているという意味では、これ以上に理想的な職業は存在しない。図中で医師国家試験の段階までこんなにも狭くフィルターされたこと自体、理想的に一様な患者群であることの証明である。それなのになぜやらないのかというと、もちろん、やりたくないからだ。社会の辺縁の遺伝性疾患などに混じりたくない、そう思っているから、医学の進歩に結びつくのにやらないのである。将来的に准医師という資格など作られて、DNA検査の結果で同僚の後ろに格下げされるのもごめんだからだ。

 どうだろう? 遺伝情報差別される気持ちが少しは分かっていただけただろうか。途中、遺伝カウンセラーが重症例を重く扱っていないように見えることに医師と比較して不満を示したが、最後は医師制度を悪用して医師だけを批判する形になって、フェアではない展開になってしまったことをお詫びしたい。医師制度は画一化されているために何かと批判しやすく、遺伝カウンセラーは批判しにくいのである。遺伝カウンセラーと日本人類遺伝学会がどこまで関係しているのか、という点を誰もが読めるようにしていただきたいというのも要望したい。実は、他の遺伝カウンセラーの学会との関係も全体的によく分からない。

 なお、図を上ほど細るピラミッドではなく、逆ピラミッドとして描いたのは、ピラミッドで描いた方が食物連鎖を連想させるため説得力はあるだろうという考えが頭をよぎったが、科学的姿勢として混同を利用するのはフェアではないと考えたからである。しかし実際には、一部の医局に限ってはまさに食物連鎖として描いた方が適切かもしれない、とも想像した。遺伝カウンセラーの方々の組織は、医師ほど画一化されていない分、決してそこまで酷くないと思っていることを、フォローになっているかどうかは微妙だが申し添えておきたい。また、うつは私も患っている時期が多いし、自分では理系の自閉症傾向があるかもしれないと思っていたのに23andMeの検査項目に今のところGWASに成功していないからと含まれてなかったので、多少失望した者である。しかし、おそらく一般人口を対象にする群の決め方がまずいのであって、職業を徹底的に限ればGWASなどで比較的レアなSNPを含みつつ理系特有の自閉症について関係性がえられると期待している。

 なお、理系らしさをかもしだすために自称アスペを名乗るという妙なブーム*があったようなので、ここに注記しておく。やはり、真面目な話、大規模な統計が必要とされているのではないだろうか。妙なブームの影響もあると思われ、日本で本当に診断された患者人口、職業比率が数値としてはさっぱり分からない。海外でも関係しそうな論文は出ていても引用数があまり伸びていないようだ

着床前診断の潜在的なリスク - 子と女性へのリスク

pubooからの転載です。

 当初、この節では、着床前診断(PGD)の潜在的なリスクについて、PGDに批判的な内容を記していたが、[男女産み分け...]の節と同様に、[仮説の更なる展開...]の節で記した理由で遺伝性疾患の大多数で男子が女子よりも重度になるのが進化的に当たり前と思え、日本の夫婦の多くが希望すると言われている女子への産み分けによって多少なりとも遺伝性疾患のリスクが回避できるという事実が存在してしまっているので、どうしてもPGDおよび男女産み分けに肯定的にならざるを得ない。そういった男女産み分けの土台の部分で複雑さがあるため、現在の段階では、あまり詳しく調べても曖昧さが増すばかりなので、当初の節より小さくまとめ直すこととなった。

"Bust a Myth about PGD/PGS" Fertility Authority, 2014年10月7日閲覧 より

"The good news is that embryos damaged by PGD appear to experience an "all or none" effect — they stop growing, rather than sustain long-term damage," she says.
「不幸中の幸いと言えるのは、PGDにより傷ついた胚は、『全か無か』(ゼロか百か)で影響が表れることです - 長期にわたるダメージを受ける前に、それらは成長を止めるのです」とのことです。
Embryos that continue to grow after the biopsy do not become abnormal as a result of the biopsy and are not at greater risk for miscarriage or birth defects.
生検の後も成長を続ける胚は、生検の結果としては異常となることなく、流産や先天異常を引き起こすリスクがより大きくなることはありません。

PGDでは8分割ぐらいしかしていない胚から、8分の1を切除するので、言ってみれば、胚の大きさをヒトの体で考えたなら、手足をもぎ取られるぐらいの侵襲を受けることになる。この結果、他の7細胞に大きな傷を付けてしまうと、その胚はあっさり死んでしまう。だから傷がついた胚は排除されて患児として生まれないと言われているが、男性不妊や父性年齢効果で精子だった時の影響が自閉症や統合失調症などの形で及ぶことが統計として出てくると、やはり精子を含んで生じる胚にほんの僅かであれ傷がついたら、子が成人してからその後遺症に悩まされることは起こりうる。なにしろ、1990年に最初のPGDのあかちゃんが生まれて、まだ24歳なのである。人生の後期に患う疾患、特にアルツハイマー病について評価されるのは、ずっと時間がかかるということになり、その点に着目した学術文献がある。

引用元 32(2014年12月9日)

The mice generated after blastomere biopsy showed weight increase and some memory decline compared with the control group. Further protein expression profiles in adult brains were analyzed by a proteomics approach.
割球生検の後に生まれたマウスは、コントロール群と比較して、体重増加およびいくらか記憶力低下を示した。更に、成体の脳におけるタンパク質発現プロファイルが、プロテオミクスのアプローチにより分析された。
A total of 36 proteins were identified with significant differences between the biopsied and control groups, and the alterations in expression of most of these proteins have been associated with neurodegenerative diseases.
全部で36種類のタンパク質について、生検を受けた群とコントロール群で有意な差異が認められ、これらのタンパク質の多くで発現の変化が神経変性疾患に関連付けられてきた。
Furthermore hypomyelination of the nerve fibers was observed in the brains of mice in the biopsied group.
更には、生検を受けた群のマウスの脳において、神経線維のミエリン形成不全が観測された。
This study suggested that the nervous system may be sensitive to blastomere biopsy procedures and indicated an increased relative risk of neurodegenerative disorders in the offspring generated following blastomere biopsy.
この研究は、神経系が割球生検の手順に敏感である可能性があることを示し、割球生検に続いて発生した子孫において神経変性疾患の相対的なリスクが増加したことを示した。
Thus, more studies should be performed to address the possible adverse effects of blastomere biopsy on the development of offspring, and the overall safety of PGD technology should be more rigorously assessed.
それゆえ、子孫の発達についての割球生検の有害作用を同定するため、より多くの研究が行われるべきであり、PGD技術の全体的な安全性をより精力的に評価すべきである。

この実験結果を読む限りは、マウスでPGDに似た実験を行うと、アルツハイマー病のリスクが高まるという結果になっている。この研究が中国の研究グループによって行われているのは皮肉で、まだ日本ほどアルツハイマー病が大問題になるほど高齢化が進んでいるとは思われないし、また、PGDというドラスティックな手段で特に不妊治療に関係して新しい生命を守らないといけないほど、子どもが少なくて困っている国でもない。日本の方がこういった研究の需要は高いはずで、ぜひ、日本でもこういった研究を行ったいただけたらありがたいと思う。もしもこの文献の実験結果が再現してしまうのであれば、とてもややこしい話になって、PGDなどとんでもないということになる。

 ここまではPGDによる子へのリスクについて述べたが、不妊治療ひいてはPGDによる母体へのリスクも存在する。

 男女の生物学的な役割の違いから、女性の方が責任と劣等感を感じて不妊治療に拘っている場合が多いと考えられる。不妊治療を行ううちに、35歳に達して、リスク的に限界と考えられる40歳に達するまでの5年間に、不妊治療として潜在的な遺伝性疾患の可能性を排除するため、海外でのPGDに手を出すのであれば、ここまで調べてきて分かるように、やはり相当に下調べをして慎重を期さないと逆に子や女性にとってリスクが高くなってしまう可能性がある。例えば排卵誘発剤の注射でアナフィラキシーを起こした場合は、抗体を通じて次の不妊治療のリスクへと反映されると考えられるため、アナフィラキシーを起こした薬剤の種類を教えてもらえないだけでも、後日におけるリスクとなってしまう。特に米国と違って英語で医師とやりとりができる保証がないアジアで安く受けるという選択肢は、安全を考える限り、アジアの安価なPGDを受けた者からのクレームやインシデントの件数が分かるまでありえないのではないだろうか。

 不妊治療は、真面目に妊娠しようとすればするほど、40歳という実際上の期限に向かって、35歳から苛烈に進んでしまうことが多いはずで、ある意味、希少疾患の診断と似ている。希少疾患の診断は歩いて自分一人で大学病院に通院できるのが診断の限界で、老化や症状の進行によって体力が衰え、通院中に事故を起こしたときが引き際である。私の場合はすでに通院中に自動車事故を起こしているので、半分引いた状態である。半分というのはまだ電車通院はギリギリできるので、DNA検査を自宅で受けて疑わしい変異を絞ってからいずれ通院することにして、今に至る。しかし、これはもしかしたら子に渡してしまった可能性がある病的変異を同定しようとして行っているのであって、子を直接的に危険にさらしているわけではないから、そこまでギリギリでも何とかなるのである。しかし女性が不妊治療を追求する場合は、自らが障害を負ってしまったら、将来妊娠する子にとってもマイナスにしかならない。不妊治療中にアナフィラキシーを起こしたりすれば、妊娠中に何か起こっても投与できる薬剤を制限してしまうだろう。女性が苛烈な不妊治療によって広い意味での障害を負い、その障害がさらに妊娠を困難にする可能性まで考えると、自然となぜそこまでの行為を男性側が止めないだと発想にいきつく。これは、もちろん、男性が女性を止めるべきなのである。本当にその女性のことを愛しているのならば。

 結局のところ、男性が女性を守るという役割が不妊治療において発揮されていないことが、日本の不妊治療を苛烈なものにしているのではないだろうか。私もここまで調べるまで、こういった観点から自らが妻の安全を考えて来なかったことに気付いた。何となくこのまま進むとまずいとは思っていても、不妊治療をやめようと言うと女性が怒り出すので、結果的に身を任せているナヨナヨした男性が日本で多いことが、おそらく問題の背景にある。日本では男子よりも女子を多く望んで男女産み分けをしようとしているということは、跡取りとして男子が欲しいという男性的な発想では考えられておらず、妊娠の行為の主体が女性で、もともと不妊治療は女性の意見の方が強く出る傾向があるのだろう。PGDをアジアで安価に受けるなどと、そこまで女性が自らの健康を犠牲にしてまで、と思える苛烈な発想が実行に移されてしまうのは、こういったことが背景にあるのではないだろうか。

生殖医療のリアルの写真

pubooからの転載です。

 本節では、生殖医療の写真をパブリックドメインから選んだものを示す。多少、グロテスクな部分が含まれてしまうが、高齢妊娠、高齢男性授精、不妊、遺伝性疾患について考える際には、これが産婦人科医の方々が夫婦に示さないリアルであろうと思われる。

不妊治療としてのPGD - 不妊としての遺伝性疾患

pubooからの転載です。

 [不妊という社会問題...]の節で、日本の不妊社会の現状を調べ、[着床前診断の問題点...]の節で、着床前診断(PGD)の手順と、生命倫理として新型出生前診断(NIPT)と大差ないことを調べた。本節では、不妊治療としてのPGDについて調べる。

 [生まれる前のDNA検査...]の節で、トリソミーで23対の染色体にほぼ同じだけ不分離による膨大な人数のトリソミーの患児が存在し、我々は出生した患児だけしか気にしていないと述べた。これが意味するのは、流産や死産の多くが、NIPTが現在対象としている21、18、13トリソミーの重症例だけでなく、他の染色体による更に重度のトリソミーを含んでいるだろうということである。早期に流産すればするほど、また、妊娠したかどうかも気付かないぐらい早い段階のものほど、重度のトリソミーであろうという推測が成り立つ*。このことは、卵子の老化によるとされる不妊率*が、ダウン症候群の母親の年令による頻度*と、同年齢で比較すると似たような比率になっていることからも裏付けられる。つまり、不妊治療というのは、いかにしてトリソミーで流産せずに健康な子を産めるか、その高齢性への挑戦とも言える。必然的に不妊治療は体外受精を含み、最終的には体外受精と組み合わせて日本以外の先進国で実施されているPGDと結び付けられる。
 
 上記は高齢で初めて不妊となったケースだが、高齢でない時点から不妊を患っている場合は、トリソミー以外の遺伝性疾患が関係している可能性がある。[中絶による母体へのダメージ...]の節で、トリソミーと並べて他の染色体異常症や単一遺伝子疾患へと、NIPTが対象疾患を拡大する様子を調べたように、重度のトリソミーで流産するのと同じ理由で、その他の染色体異常症や単一遺伝子疾患の中の生まれることもできないほど重度で、とりあえず着床はできるほど軽度のものが、流産の中に潜在的に含まれていると考えらえる。次の図では、下の方の「患児」の部分が生まれることができた遺伝病患児であり、「着床失敗」から「胚の形成不良」を経て「死産」までの間でフィルターアウトされるのが、遺伝病による不妊であり、遺伝病以外の不妊と区別できないが故にこれまで認識してこなかったが、NIPTのようなDNA検査が発達すれば、この部分が問題になってくるはずだ。

 子宮筋腫子宮内膜症といった、他の婦人科疾患による不妊も多くあるため、結局のところ、不妊治療は高度になればなるほど、不妊の原因が追求される傾向があり、近年になって女性不妊から男性不妊が区別されて、精子の選別と体外受精に頼るようになったように、今後次第に、高齢による単純なトリソミーなのか、他の遺伝性疾患なのかが区別されるようになるものと思われる。そのために欧米で用いている手段が、PGDと言える。

 不妊治療としてPGDを導入するシナリオを具体的に想定してみる。

 不妊治療を、原因を探りながら1年以上続けても、原因が分からないまま妊娠できないと想定する。タイミング法、排卵誘発、人工授精、体外受精、顕微授精と、通常のステップアップは全てやったとする。次は、夫婦に対する染色体検査ということになるが、どのタイミングで実施すべきなのかは確かな記述を見つかることができなかった。不妊治療としてはあまり行うことがないとされているが、その理由の一つが「異常が出ても治療が無い事」というのは、強い違和感を感じる。検査結果が得られれば海外でPGDを受けるか、日本で諦めるか決められるので、原因不明のまま不妊治療を続けるという泥沼から抜け出せるのである。異常が出ても治療が無いからと言って、特定の検査を含まずに不妊治療を続けさせるのは、産婦人科医による打算、あるいは、悪く受け取れば、出せる夫婦から限界まで不妊治療に出費させるという種類のチェリーピッキングではないだろうか。

 実際に、夫婦染色体検査どころか、あるクリニックでは染色体に転座を持つ反復流産患者に対してPGDは有効と言い切っている。反復流産のことを、ウェブページによって習慣性流産、不育症とも呼んでいるようだ。反復流産の原因が、母体の全身性エリテマトーデスや抗リン脂質抗体症候群でない場合が、夫婦染色体検査、および、流産で天に召された胎児の染色体検査を最も必要とする状況のようだ。後者は、最も頻繁には"流産染色体検査"と呼ばれているようで、非常に手間がかかるがそれでも実施されているということは、やはり流産染色体検査ほど手間がかからないと思われる夫婦染色体検査までは行った方がよいと私は思う。こういった段階でも夫婦染色体検査を提案されない場合、遺伝カウンセリングを円滑に行うことができないというクリニックの事情による可能性が高い。染色体検査にも方式の違いがあり、染色体マイクロアレイ、別名比較ゲノムハイブリダイゼーションというのが最新の方法のようだ。これもおそらくクリニックがどの検査機関に送るかによって違うのだろう。

 だんだん状況が稀なケースになってしまうが、夫婦染色体検査または流産染色体検査まで行っても不妊の原因が分からない場合を想定すると、もうとれる選択肢はPGDしかない。

 将来、不妊治療からPGDに向かう過程がどうなっていくか想定してみる。

 夫婦染色体検査で何も問題がなかったと想定する。夫婦が、二人共エクソームシーケンシングや全ゲノムシーケンシングを受けて、病因性不明の変異を二人の同じ遺伝子に見つけ出し、それが胎児で劣性遺伝病を引き起こして流産となるために不妊なのではないかと推測する場合を考えてみる。妊娠するという以外に中間的な目標がなくだらだらイライラしながら支払いだけが増えるよりも、二人の老後設計として夫婦のどちらがどんながん保険に加入するかという検討も合わせて、エクソームシーケンシングをやってしまった方が、今後はコストパフォーマンスの点でよいだろう。

 [ミトコンドリアDNAの検査]で述べたように、シーケンシングによって変異が見つかっても、検証実験が既に行われている場合は少なく、しかし検証実験は患児の形で症例が出ている場合に行われるもので、変異が見つかっただけでは病因性は簡単には証明されない。だから原因不明の不妊で、病因性不明の変異が二人の同じ遺伝子に見つかった場合には、それなりにそれを不妊原因の可能性の一つとして仮定する根拠がある。もちろん、劣性遺伝は25%の確率なので、これまでの不妊の全部が一つの遺伝子のせいだったとは言えないが、すでに夫婦染色体検査まで行って問題がないと分かっているなら、比較の問題として、後は可能性の大きなものにかけるしかない。おそらく、疑わしいものから優先順位をつけて最大3つぐらいの遺伝子による劣性遺伝病を想定して、実質的には上位2つぐらいの遺伝子による劣性遺伝病を、胚の選別で排除できると期待される。2014年12月現在、次世代シーケンシング(NGS)の導入が進み、複数の遺伝子を一度のPGDで同時に検査できる体制が整いつつある**

 国内でPGDを行っていると公表しているのがほんの一部のクリニックだけに限られていると、そちらを持ち上げるわけにはいかないので、不本意な感じがするが、多数が利用している海外の場合を考えてみる。念のため記すが、海外でPGDを受ける場合も公式の基準があまりないという点では国内と変わらない。海外から見れば我々は外国人であり、外国人も対象とした特殊な基準が設定されていたとしても、言語が異なるため我々自身がその内容を直接知ることはできない。我々が知ることができる情報はあくまでエージェントを介してのみである。あくまで想像だが、米国では商業主義で高額ではあっても、比較的医療処置の安全性が保たれているのに対して、タイでは、途上国・中進国の常として、日本では想像できないぐらい病院の設備が異なり、富裕層病院と貧困層病院が別になっている*。特に安価なエージェントの場合、貧困層病院に連れて行かれて、日本よりも遥かに劣る医療処置を受けることになるのではないかと想像する。この前置きをした上で本題に戻ると、海外で体外受精+PGDを行い、劣性遺伝の発症パターンで変異が載っていない胚があれば、胚移植を行い、全てに載っていたなら、遺伝子の優先順位にしたがって選別するか、実子を諦めるかということになる。

 たとえ、実子を諦めることになっても、DNA検査の結果を眺め、自分達の老後設計を進めれば気持ちも前向きになろうというものではないだろうか。DNA検査による成人病の罹患予測確率から、加入すべき医療保険を決め、それらを支払っても余裕があると分かれば、里親および特別養子縁組という選択肢も残っている。しかし、もしも海外で二度目のPGDに挑戦しようとするならば、だんだん年齢が進んでいるはずで、無理があるのではないかと、私は思う。

 おそらく不妊治療の一つの問題は、患者を悩ませないつもりでリスクをリアルに説明しない過保護な医師の態度である。半分は不妊治療の利用を続けさせるための打算だが、もう半分は医師として患者の心を守るという良心から出ているため誰も強くは批判せず、終わりなくズルズルと救いがない状況が続きやすいため、どこかで意図的にピリオドを打たねばならない。前の節でトリソミーについて画像検索へのリンクで具体的に示したように、重度のことが多く、胚の潜在的な死亡原因と思われる染色体異常症や劣性遺伝の遺伝病を避けるために、一度は海外でPGDに手を出すのは、子の健康を望む親の努力として仕方がないと思われるが、その中でも劣性遺伝病の部分は、あくまで夫婦のシーケンシング結果から不妊原因への推測である。まだ日本はそういう状況になっていないが、同じシーケンシング結果に対して、分野が違う複数の医師から意見を聞けるようになれば、別の病名が次々に飛び出すということが起こりえて、最終的には単一遺伝子疾患は必然的に何パーセントかの胎児に起こってくるもので、いくら想定を厚くしたところで、一度のPGDで扱える胚の数が限られている以上、完全に避けるのは無理だということになる。

 不妊治療は、現在の日本で体外受精を何回までがんばるかとされているところが、将来的には一度のPGDでピリオドを打つところへと延長されることになるのではないだろうか。体外受精でピリオドとの大きな違いは、夫婦のシーケンシング結果を一つの成果として肯定的に考えることができるという点で、将来の医療保険と、里親ひいては特別養子縁組を望んでもいいぐらい自分達が本当にこれからも健康なのかどうかを、具体的に検討できる点であろうと思われる。

 また、気持ちとしては、海外で二度までもPGDを受けるようなお金があるのだったら、遺伝性疾患などの障害をもっているので里親のなりてなどいなくて、乳児院に預けられている恵まれない子供達*の支援に使われれば、どんなに助かるだろうかと想像する。

 本節の最後として、補足しておくと、不妊治療に絡むDNA検査として次世代シーケンシングに触れたが、一応23andMeによるDNAアレイの検査でも男性不妊の検査項目"Male Infertility"がある。ただし信頼性が★3つのため、あまりあてにしない方がいいと思われる。罹患予測確率を数値で示していないのは信頼性がそれほどないためと思われる。おそらく女性の方が不妊に関する検査結果の項目が多いのではないかと思うが、受けられないので分からない。以下に私の検査結果の概略を抜き出して示す。3つのSNPsが含まれ、うち3つ目のものは、日本人の研究者による成果のようである。最小限の訳を挿入する。

Non-obstructive azoospermia (very low sperm count)
非閉塞性の無精子症
Marker rs955988
CT Slightly higher odds of low sperm count.
Hu Z et al. (2011) . “A genome-wide association study in Chinese men identifies three risk loci for non-obstructive azoospermia.” Nat Genet.

Non-obstructive azoospermia (very low sperm count)
非閉塞性の無精子症
Marker rs10910078
CC Typical odds of low sperm count.
Hu Z et al. (2011) . “A genome-wide association study in Chinese men identifies three risk loci for non-obstructive azoospermia.” Nat Genet.

Male infertility
男性不妊症
Marker rs35576928
CC Typical odds of male infertility.
Iguchi N et al. (2006) . “An SNP in protamine 1: a possible genetic cause of male infertility?” J Med Genet 43(4):382-4.

着床前診断の問題点 - NIPTとの倫理的違和感

pubooからの転載です。

 [中絶による母体へのダメージ...]の節で、NIPTが対象疾患を拡大した場合を想定し、一度目の妊娠でNIPTが陽性となり中絶した場合、二度目の妊娠・出産の成功率が荒い試算で32~64%と低くなるため、軽度の疾患の場合迷うところだろうと述べた。特に単一遺伝子疾患の場合や、夫婦染色体検査で陽性となった場合には、二度目の妊娠・出産を無思慮に行っても、一度目の妊娠と同じ結果になる可能性が高く、しかも、加齢とアッシャーマン症候群(AS)により状況は悪くなっていく。結局欧米で行っているように体外受精と着床前診断(PGD)の組み合わせで対応するしかない。

 体外授精に関しては日本はクリニックの数も実施症例数も豊富なので、問題は生命倫理に抵触しがちな着床前診断(PGD)の方である。タイで代理母を多数雇う資産家のニュースで誰もが知ってしまったように、タイはアジアでは例外的に生命倫理からの拘束力が緩く、人件費が安いため海外からの顧客を対象とした出生に関するビジネスが乱立している。日本も法的に厳しいわけではないが、事実上厳しい。基本的には、タイでも米国でも、現地を2回訪れないといけないようだ。しかし、冷凍受精卵輸送により日本にいながら米国でのPGDが可能としているエージェントが存在し、タイでのPGDでも同様のエージェントが存在する。特に後者の方は、一般に知られている相場よりもあまりにも安いことを公表しているため、鵜呑みにしていいのか全く分からない。おそらく、受精卵を冷凍すること自体は、大きな問題ではなく、現地に渡航した場合にも一度は冷凍するのではないかと思う。問題は日本から輸送すると必ず2回以上冷凍しなければいけない点ではないかと思うが、冷凍回数と成功実績の関係を数値で示していただかないことには判断材料がない。

 NIPTで陽性が出た場合という、稀なケースに言及してPGDのテーマに入ってしまったが、この流れからも示唆されるように、NIPTはPGDと倫理的にあまり違いがない。次の図のように、一つの図の中にPGDとNIPTの両方の手順を置いて比較してみた。こうしてみると、生命倫理のポイントとして、PGDでは「選別」という手順が入るのに対し、NIPTでは「中絶」という手順が入る。この二つを同罪とみなすか、選別の方がたくさん胚を排除するから罪が重いと考えるか、中絶の方がヒトの顔形に近いから罪が重いと考えるかということになる。これ以降は1細胞のことを受精卵と述べ、卵割して複数の細胞になったものをと記す。

 私は選別で排除される胚の数が、科学的な根拠のある透明性の高い基準にそって制限され、医療目的でない男女産み分けなどという実にくだらない理由のために不当な数の胚が排除されるのでなければ、PGDの方が、妊婦の受ける肉体的および心理的ダメージの両方を軽減できるという点から好ましいと思う。

 医療目的でない男女産み分けについて補足すると、[男女産み分けの国際比較...]の節で詳しく触れるが、ヨーロッパでは少しずつ重症度の低い遺伝性疾患までPGDを拡大しつつ、一度医療目的でPGDが認められ、胚として男女両方が得られ健康上等価であれば、付随的に男女の産み分けを認める方向にある。条件が複雑だが、非常に合理的な考え方をしている。

 PGDは、国内で行うか、海外で行うかにより、違いが出る。本来は国内で平等に行うべきところが、主として透明性の高いガイドラインの不在によって、事情を詳しく知る者だけが国内で利用して、それ以外の大多数は海外で利用する状況になっている。もちろん産婦人科医の方々が良心で動いて下さっているのは間違いない。しかし、結果として状況は患者のためにならない方向で動いてしまっている。NIPTの導入についても、技術的に見ればよいことだったと思うが、生命倫理の点からPGDと大きな差がないと思われるため、違和感はいっそう増した。

 本来ならば、NIPTが採血だけで済むというお手軽な理由でなし崩し的に実施されるのであれば、PGDも範囲を限定して実施基準を透明化すべきであった。

 2014年9月現在のところ、日本産科婦人科学会がPGDに対する「見解」を公表しているが、あくまでガイドラインという名称でもなければ、法的拘束力も全くない「見解」なのである。その割に「適応の可否は日本産科婦人科学会(以下本会)において申請された事例ごとに審査される」と患者にとっては不透明で、学会の立場を強めるのに都合が良い基準が導入されている。この結果、一部で学会見解の拘束力のなさを知っているクリニックだけが100例を越えるPGDに踏み切る一方で、国民の多くはこういったものは「闇」で行なわれているものなので、金を積みさえすれば海外で体外受精してPGDによる男女産み分けまで許され、国内の「闇」のものよりむしろ合法だと考えてしまっている。この結果、海外への体外授精とPGDの紹介ビジネスが基準がないまま乱立することとなり、NIPTという次の技術が登場して現在に至っている。

 政府が日本産科婦人科学会にPGDの見解を示すように促したという記述は検索しても出てこないので、ある意味、この見解そのものが非公式のもので「闇」とも言える。むしろ「次世代の日本国民の間引き」の基準を国民投票などの公的な手段でオーソライズするのを阻み、学会が申請を受理するかどうかという不透明な基準により、ごく一握りの権力のある産婦人科医が自分達の胸三寸のものにしようとしているかのようだ。だったら、日本産科婦人科学会ではなく、似たような名前の日本産婦人科医会の方がホームページが分かりやすいし、別の学会で基準を透明化してくれてもいいのではないかと考えるのが普通である。混同しやすい似たような名前の2つの学会が存在すること自体、公的に区別されなければならないほどの存在でないのを自ら認めているようなものだ。政府が基準を明確にせずに1990年に行われた世界最初のPGDから24年間も放置しているなら、いくらでもある地域の産婦人科学会でローカルに基準を透明化してもらった方がむしろ健全なのではないかという考え方もある。とくに先端医療開発特区が唱えられる近年は、一部地域だけが全国での特定の医療の実施よりも先行するのに不自然ではなくなった。

 NIPTとPGDは同じ生命倫理的基準で取り扱われるべきであり、NIPTが認可されるのにPGDが基準を明確にして認可されないのは、欧米の状況を調べれば調べるほど矛盾が大きい。結果的に、事情を知る一部の人々だけが国内で利用して、さらにお金持ちだけが男女産み分けのために海外で利用して、情報が得られずお金もない者は、遺伝性疾患を患っていても利用できない、それを許容するような見解なら、ガイドラインとさえ呼ばれていないような見解に従う必要があるのだろうか。その効力を疑うべきだと私は思う。

中絶による母体へのダメージ - 次の妊娠がうまくいく確率

pubooからの転載です。

 NIPTを受けるという選択肢をとる場合、中絶を前提にしている。しかし、中絶による母体へのダメージと、NIPTで陽性となった場合に、次の妊娠がうまくいく確率を計算した文献は今のところ見つけられない。だが、本来は極めて重要なはずである。遺伝カウンセラーの仕事を高度に考えれば、学術論文を読んでメタ分析により、個々の症例に対してそういった確率を計算してくれてもいいはずだと思うが、果たしてそういったことがどのぐらい困難なものかを、まずは試みようと考えた。

 中絶によるダメージとしては、アッシャーマン症候群だけと考える。この疾患は、一言で言えば中絶した時の傷による癒着により妊娠しにくくなることで、詳しいことは産婦人科医の方々が書いたものを探していただきたいが、日本ではこういった病名や一回の中絶による罹患率を具体的な数値として教えてこなかったようだ。様々な病名で呼ばれているようなので、グーグルを用いたヒットカウント分析を行う。2014年12月4日の結果である。

"Asherman syndrome" 約 101,000 件(Asherman'sを含む)
"Asherman's syndrome" 約 89,600 件
"uterine adhesions" 約 15,200 件(intrauterineを含む)
"uterine scarring" 約 12,000 件(intrauterineを含む)
"uterine synechiae" 約 9,570 件
"intrauterine synechiae" 約 8,460 件
"intrauterine adhesion" 約 7,490 件
"アッシャーマン症候群" 約 6,460 件
"uterine synechia" 約 3,890 件
"子宮内癒着" 約 3,870 件
"子宮腔癒着" 約 2,140 件
"子宮腔癒着症" 約 1,760 件
"子宮癒着" 約 1,420 件
"intrauterine scarring" 約 1,070 件

以降では、アッシャーマン症候群で用語を統一する。略記としてASを用いる。

 ASは、流産をするとどのぐらい罹患するかは明確な数値があるが、人工妊娠中絶をするとどのぐらい罹患するか、はっきりと言い切ったものは未だに見つけられない。このことが意味しているのは、中絶に対する宗教的反対運動がつよいキリスト教国の多くで、中絶によってASなどを患って不妊になるのは、自業自得だと考えられており、具体的な数値を示して中絶しようとしている女性に安心感を与えることがタブーとなっているのではないだろうか。しかし、実際問題として、キリスト教国で積極的にNIPTが行われているのにそういった数値がないことは非常に矛盾しているため、何らかの目安はどこかに記されているものと思われる。

 一応、Wikipedia英語版にどういった条件かを記さずに、1回の掻爬術の後16%と記してあるのを目安として信頼することにしたい。この16%という数値が記された元の文献の概要を読むと、早期の突発性流産("spontaneous first trimester abortion")と記されているが、そういう条件を省いて考えてもよいぐらいの数値だと思われたので、Wikipediaで条件が省いて記されて、訂正されずに現在まで残っていると考える。

 ASの結果どのくらい次の妊娠が困難になるか調べようとしたところ、中国の研究グループがASについてのかなり包括的なレビューを出していた。

Yu, Dan, et al. "Asherman syndrome—one century later." Fertility and sterility 89.4 (2008): 759-779.
引用元 184

"Outcomes of Treatment"および"PROGNOSIS"の節に、各条件で、かなり幅を持って記されているが、単純に妊娠率で評価することはできず、ASにより出生率(live birth rate)も低下すると示されている点がおそらく最も重要である。つまり、ASにより流産や死産も増えると述べられている。その上で子宮鏡を使った治療を行えば、大幅に改善すると述べられているが、どのぐらいの患者が子宮鏡治療を受けたかというのが述べられていないため、総数としては分からない。子宮鏡治療を受けて、妊娠に成功したのが74%、さらにその中から出生に成功したのが79.4%と述べられているので、子宮鏡治療トータルで60%付近に落ち着くはずである。これに何割かは子宮鏡治療を受けずに妊娠してしまうものと考えて、トータルで大雑把に半分の50%がASの後出生に成功するものと考えたい。時間経過で自然に治癒する場合があるかもしれないが、そこまで考えても、もともと人工妊娠中絶に限った研究がないので、仕方がない。

 一度目の妊娠で中絶をして16%がASに罹患し、罹患した半分が出生に成功しないとするとすると、中絶当たりのトータルで8%である。もしかすると日本の高度な医療ではもっと小さいのかもしれないが、学会などによるオープンアクセスの文献を見つけられないので、仕方がない。

 一度目の妊娠のNIPTの結果を考える際には、ASによるこの8%という確率で、二度目の妊娠・出産が成功しないのを許容するか否かということになる。

 ASに加えて、何年も経た二度目の妊娠の際には、35-39歳で30%といった不妊率*が上乗せされる。しかし、「一度妊娠した女性(妊娠できた)が、その次の子供をもうけられない可能性(不妊率)」と述べられているように、先述のASの8%の一部、妊娠までの成分を、この30%の中に含んでしまっているはずである。しかし、実際問題として分割できず、8%という30%と比較すると小さい数値の中身を、更に分割するほどこの試算には精度がないため、便宜上独立のものと考える。ASをパスするのが92%、年齢による不妊をパスするのが70%とすると、乗算して64%である。不妊率の中には女性・男性、両方の効果が含まれていると考える。更に、一度目の妊娠のNIPTの結果によって場合分けされる。

 ダウン症候群といった典型的なトリソミーで陽性となった場合は、偶発的な染色体の不分離が原因のはずで、夫婦に遺伝学的な原因が存在しないためシンプルで、二度目の妊娠・出産に成功する確率はそのまま64%である。

 単一遺伝子疾患までNIPTが対象疾患を拡大した場合は、de novo変異の場合を例外として、優性遺伝の疾患で陽性であれば、一度目の妊娠で中絶を行っても、二度目の妊娠でも50%の確率で同じ状況となる。劣性遺伝の疾患で陽性であれば、二度目の妊娠で25%である。それぞれ、二度目の妊娠・出産に成功するトータルの確率は、先述の数値に乗算して、優性遺伝で64%x50%=32%、劣性遺伝で64%x75%=48%である。

 その他の染色体異常症までNIPTが対象疾患を拡大した場合は、NIPTがそういった疾患で陽性となった後、夫婦染色体検査で異常が見つかるかどうかによって変わり、最も複雑である。夫婦のどちらかが既に染色体異常症である場合には、典型的には優性遺伝の遺伝パターンに近い32%のはずである。ただし、様々な非典型のパターンがありえて、性染色体の異常が絡むと子の性別によって事情が異なったりと、あくまで典型的な場合の数値しか示せない。ダウン症候群の方が子をもうけようとすると健常者の子ができる確率が優性遺伝のパターンよりも高くなり、およそ67%となることが知られている。だが、これは子にダウン症候群が優性遺伝的に継承して流産となる効果を込みにした数値のはずで、流産が更にその後のASの発症原因となるため、67%というように大幅に良くなるとは考えられず、優性遺伝のパターンの32%を少し上回るぐらいではないだろうか。その他の染色体上昇で夫婦染色体検査で異常が見つかった場合、二度目の妊娠・出産に成功するトータルの確率は、32%よりも少しよい数値と思われる。

 その他の染色体異常症でNIPTが陽性となった後、夫婦染色体検査を行っても夫婦のどちらにも染色体異常症が見つからない場合は、基本的には典型的なトリソミーと同様にそのまま64%と考えるしかないが、仮定として最も複雑であるため、ほとんど確かなことは言えない。

 以下に各場合の検討結果を一覧としてまとめる。

典型的なトリソミー 64%
優性遺伝 32%
劣性遺伝 48%
その他の染色体異常症で親から継承の場合 32%を少し上回る
その他の染色体異常症で親から継承でない場合 64%と仮定せざるをない

一度目の妊娠のNIPTの結果を考える際には、これらの確率で、二度目の妊娠・出産が成功するということになる。典型的なトリソミーといった場合は64%と考えられるので、それほど問題なく、中絶を検討できるが、優性遺伝とその他の染色体異常症が親から遺伝する場合は32%になってしまうので、かなり迷うところのはずである。

 NIPTの範囲が比較的軽度の遺伝性疾患まで拡大されたとしても、比較的軽度の疾患で陽性となった場合には、中絶を行うのはためらわれる数値と思う。どんな疾患かによって産むかどうかが分かれると思われる。この試算の問題点として誤差範囲を示していない。すでに二度目の妊娠・出産の成功率が50%を切っている場合は、もう一度自然受精で挑戦するという選択肢はないのではないかと言いたいところだが、誤差範囲を広く考えると、それもためらわれる。ともかく、成功率が低くなるにともなって、欧米のように婚外子という選択肢か、あるいは、体外授精+着床前診断(PGD)という選択肢が重要となるはずである。

 最終的にはASといったダメージを受ける妊婦が、NIPTで陽性となった疾患を許容するかどうかで決まる。しかし、将来に遺伝性疾患で苦しむ人口を減らそうとしてNIPTの対象疾患を拡大すると、最も重度の疾患が最初に追加される。NIPTで陽性となる可能性は非常に小さいが、万が一陽性となって、二度目の妊娠・出産が成功する確率を理解すれば、やはり中絶の方向で考えない場合よりも、考える場合の方が多いであろう。しかし、最後には、やはり胎児の生命を絶つだけの正確さがこの試算にあるのかという疑問が生じ、誤差範囲としてはどのぐらいかという話になる。現在のところ、遺伝カウンセラーの方々が上記同様の、英語文献でしか元になる数値が存在しないような試算をしているとは、正直思われず、やはり、誤差範囲を込みで妊婦に試算を示すための努力が研究者レベルでなされるべきではないだろうか。自分が誤差範囲を計算していないような試算を、他人にやってくれというのは気が引けるが、たったこれだけの試算でも実は仮定が少なくなる条件を思いつくまでにものすごく時間がかかっている。私としてはここまでが一応の限界である。

 その他、母体へのダメージとして、麻酔によるリスクが存在するが、ここではその存在のみ述べるだけにしたい。これはNIPTが対象疾患を拡大すればという話ではなく、一般的な話であり、単純に全身麻酔手術は麻酔科医のいる病院で受けた方が安全である。

 NIPTが様々な遺伝性疾患へと拡大された場合、という方向で試算を行ったが、ダウン症候群に関してだけは、[生まれる前のDNA検査...]の節で述べたように、将来的に心臓病の重症度が分かるという、症候群の中でより詳しく調べる方向にNIPTが拡張されるかもしれない。つまり、単純に陽性か陰性かという話ではなく、もっと細かい区分で1年生存率を予測できる可能性がある。ただ、倫理的な選択肢として増える方向になるため、本節の試算でも場合分けで複雑な話に思え、他で試算した例を探しても見当たらないのに、さらに選択肢を提示されてもその情報を有効に活かせるかどうかは、正直なところ分からない。ただ、技術予測としては、将来的にありうるという話である。