2015年5月20日水曜日

染色体が1対増える過程 - あくまで推測

 ダウン症候群では染色体が1本増える。生物の歴史の中で数えてみると、ヒトであっても23対しか染色体がないので、1本の染色体しか持っていなかったバクテリアから数えると、2倍体となった最初の1回と、その後1対ごとの22回で、単純計算の範囲では合計23回しか起こって来なかったことになる。もっとも、23対よりも多い染色体を持っている哺乳類もチンパンジー、ヒツジ、ウシ、モルモット、ウマ、イヌと多いが、チンパンジー以外は、系統樹の上で年代を入れて見たとしたら、霊長類と分かれた後に、おそらくゲノム重複といった、染色体の数が極端に増えるような現象に出会ったのだろうと思われる。

 ゲノム重複の点からチンパンジーとそれ以外の哺乳類を別に考えてもいいという考えを分化した年代を調べることによって検証する。図の哺乳類の系統樹の中で、ウシ、ヒツジ、ウマ、イヌのどれもローラシア獣上目に含まれ、ヒトを含む真主齧上目とおよそ9000万年前に分化した。モルモットはグリレス大目で、ヒトを含む真主獣大目と、これもおよそ9000万年前に分化した。ここまでは分化の後9000万年の長きのうちには、ゲノム重複といった稀な現象に出会うチャンスもあったと考えられるので、染色体の数がヒトより多くてもそれほど不思議はない。

 問題のチンパンジーについては、チンパンジー亜族はヒト亜族とおよそ500万年前に分化したチンパンジーとヒトの共通祖先で12番染色体に13番染色体が逆位で融合してヒトの2番染色体となったそうなので、遺伝情報を失ったわけではない。逆に3遺伝子分ぐらい増えていると述べられている。しかも、増えた分の遺伝子は9番染色体など他の染色体でも見つかっているそうなので、ウイルスか何かによる遺伝子の挿入が融合のきっかけだったのかもしれない。遺伝子の挿入についてはよく分からないが、染色体異常の種類としては、テロメア同士の融合と呼ぶようだ。この融合はあるウェブページでは"Little genic loss is associated with this kind of fusion but they are thought to be quite harmful"「こういった種類の融合は、遺伝子がほとんど失われないにも関わらず、非常に有害と考えられる」と述べられているが、ヒトでみられた例もある。最後のリンクから本文を読もうとすると悲しいことに料金が表示されたので、オープンアクセスの範囲で追えるのはここぐらいまでのようだ。

 ヒトとチンパンジーの共通祖先様からヒトに進化する際に、2本の染色体を1本にまとめる融合が起こったというのは、同時にそれぞれ父母由来の1対分である2本の染色体で全く同じ融合が起こったと考えるのは無理がある。それよりも、融合を起こして47本の染色体を持つ個体が、48本の正常個体と交配に成功し、子の半分が47本の個体、もう半分が48本の個体となり、近親婚によって47本の個体同士が交配することにより、四分の一の確率で46本となった最初の人類のご先祖様が誕生したものと推測できる。近親婚というのは危険な考え方かもしれないが、集団の個体数が少なくなってしまって相手が選べなくなると、動物ではどうしても自然と起こるのが知られている。

 この減少を特別な場合として除けば、その直前の染色体数の変化というのは、46本から48本への増加である。話を単純化したいので、染色体1本当たりの長さに限界があるため、単純により多くの遺伝情報を保存するために、染色体の数を増やすことが有利に働くと考える。増えたときに、何が起こったかを考えてみると、ヒトのダウン症候群の場合を元にすると、もっともありうるのは卵子か精子を減数分裂で作るときに、染色体不分離により47本の個体ができ、46本の正常個体と交配に成功し、子の半分が47本の個体、もう半分が46本の個体となり、近親婚によって47本の個体同士が交配することにより、四分の一の確率で48本となった共通祖先が誕生したものと推測される。この場合は、重複した染色体は、元の2本の染色体の全くのコピーなので、遺伝子重複的に、あるいは2R仮説的に、元は大して役にたっていなかったものが、後に続く分子進化を経て、言ってみれば空き容量としてうまく使われるようになったのではないだろうか。

 このように2段階で染色体増加を達成した可能性の他に、一段階でテトラソミーによる染色体増加を達成した可能性も考えられる。しかし、48から46へのテロメア同士の融合が全く対称な結果として、我々人類に伝わっている。少なくとも、この融合はテトラソミーのような形では極めて起こりにくいはずで、やはり2段階で起こったのではないかと考えられる。46から48への増加の過程の可能性の大きさとしては、テトラソミーによる一段階よりも、トリソミーと近親婚による2段階の方が、尤もらしいと考えられる。3段階以上の場合ももしかするとあるかもしれないが、複雑になればなるほど、おそらく生存可能性も低下すると思われ、そこそこシンプルでかつ2倍体生物として対称な結果が残される可能性を考えると、トリソミー経由の2段階が最も可能性が高いはずである。

 こう考えると、おそらく強く言えると思うのは、やはりダウン症候群の主な原因とされている染色体不分離という現象が全くなければ、染色体の数は増えずに我々は人類ではなくバクテリアの様な姿のまま現在に至るのではないだろうか。染色体不分離は一見偶発的に起こる事故にしか見えないが、22回は起こってもらわなくては人類は誕生しなったように思える。進化論における変異の発生と同様に、ヒトの一生という短い期間で見ると偶然にしか見えないが、進化史の中では意図して仕組まれたかのような現象と言ってよいのではないかと思う。さらには、染色体不分離の結果、トリソミーとして生まれた個体が、もとの種から見てある程度魅力的でないと、親にも育ててもらえないし、配偶者を得て交配することもできない。トリソミーとなって、多少弱い個体であっても、その弱さを補うくらい魅力的な外見をしていなければ、配偶者を持つことができずに人類とチンパンジーの共通祖先様とはならなかっただろうということである。

 更には、47本となった弱い個体を、近親婚が起こるぐらい複数、集団内に抱えることになったはずなので、弱い個体を守るという行動をとった集団でなければ、染色体1対を得て進化の次のステージへ踏み出すことができなかった可能性が高いと思われる。親が子を守るという愛は動物で多く見られるが、染色体1対を得る瞬間に、自分の子でなくても集団の弱い個体を守るという「他人への愛」が試され、その基準を満たした集団から我々の共通祖先様が生まれたのではないだろうか。我々が「人間性」と呼んでいるものの原型が、大きな進化へと結びついた瞬間だったのかもしれない。

 なるべくヒトに近い外見でしか想像することができないため、この推測が44本から46本への進化やそれ以前にも通用するとは思えない。あくまで、我々の祖先が経験した最後の染色体数の拡張の場合だけを考える。

 この考え方には課題がある。もっとも気になるのは、47本となった共通祖先様が、ダウン症候群と似た様相だったかどうか、あまり確かではないことである。何らかの方法で共通祖先様がダウン症候群と似ていたことを見出さなければ成り立たない。他の染色体が増える疾患の患児について調べると、あまりにも過酷な現実があって、ほぼ1歳を待たずに天に召されているので、ダウン症候群がもっとも近いだろうとは思われるが、今のところ、その共通祖先様がどのぐらいヒトやチンパンジーの姿形だったのか、調べても、よくわからないままである。

 共通祖先様で増えたのが、21番染色体に相当するものであったにせよ、何か他の染色体であったにせよ、単純計算だと、約23000個の遺伝子が23対の染色体に載っているので、染色体1対あたり1000遺伝子分なので、染色体1本がまるまる増える現象は1000遺伝子分の大進化に相当することになる。これが普通に1個ずつ変異を積み上げる累積的な進化とはスケールが違うのは明らかなので、この現象に出会ってしまった我々のご先祖様達にとっては、47本の染色体となった最初の一人にとって生死に関わる大変な負担だっただけでなく、48本となってからも何十何百何千世代も経て安定期に入るまで弱い個体が多かったはずである。たまたま運良く生き延びたという考え方をするよりは、強い個体が弱い個体を助ける集団だけが必然的に生き延びたと考えた方が合理的と思われる。

 チンパンジーを最初に見た時、顔が皺だらけで「おじいちゃんみたいだ」と思ったことはないだろうか。ゴリラなら体も大きくて父親っぽい感じだ。全体的に類人猿というのは、現代人よりも体毛が多く、皺だらけで、年長の男性ぽい様相をしている。その印象はおそらく逆で、我々の祖先の方が、染色体が増えるなどの大進化の際に、子供ぽくて女性ぽい外見をしていたため、その前の、言ってみればまるで父親のような種から保護を受けやすかったのだろうと思われる。逆に保護が受けられなかった者は我々の祖先にはなりえなかったのではないだろうか。いわば「愛されることも一つの強さ」と言える。比喩とか文学ではなくて科学的、生物学的な意味において。

 以上の考察は、決してダウン症候群の方々が子をもうけ、48本の染色体を持つ新しい人類の歴史を開始することがいいと言っているわけではない。ダウン症候群も多くの単一遺伝子疾患と同様に、地球上で生を謳歌している人類が、進化して現在に至るまでに必要だった犠牲なのではないか、そう考えるとダウン症候群に対する社会的サポートはもっと厚くてもいいのではないか、と考えられる。こういう進化と疾患を関係させるような考え方が間違っているなら、どこかに否定するための学術文献があると思われるが、探した範囲では見つけられず、しかし、肯定している学術文献も見つけられなかった。ということは、もしかすると、この分野の研究者のいくらかが思いついても、決して患者の前で気軽に口に出せるような説ではないために、患者会の反応も心配して、自分から言い出すと物議をかもすと思って口を閉ざしているのではないかと思われる。しかし、他の誰かが言い出したなら、多少研究してくださる研究者がおられるかもしれない。


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