2015年5月26日火曜日

患者性善説の終焉

 患者性善説とどこか別の場所で呼ばれているのかどうか、私は知らないが、私がこう呼んでいるのは日本の小学校、中学校の教育の中で、特に障害者のことを性善的に受け止めましょうという流れのことである。確かに、小中学校でいっしょになる障害者の中には、長く患っているうちに過渡期を経て善性を帯びてくる方々もおられるのだろうが、全ての患者がそうではない。特に病気を患って自分が惨めで不幸な立場にいると感じている時期には、むしろ性悪説と言ってもいいような精神的状況を誰でも一度は経験するものなのである。

 私の場合も、O大学病院のT助教の元で、L教授との間に挟まれながら、陽性どころか完全な陰性しかでない針筋電図とCMAP筋電図を受けていたとき、T助教に対し疑心暗鬼になってとんでもないことをしてしまうところだった。L教授から届いたSCN4Aに変異があったので、先天性パラミオトニーと遺伝的に診断する、という結果シートに対して、T助教が何を根拠にしているのかL教授に尋ねて下さいと言われた。その一方で、氷に浸したら部分的にでも陽性になるのではないかということで、条件を変えながら筋電図検査を受けるために130キロメートル先のO大学病院まで何度も通院しなければならない立場に陥った。当時の私は、新たに発見された変異の病因性を検証実験によって明らかにするか、筋電図検査で陽性になるか、どちらかでないと、変異が見つかっただけでは確定診断されない、という現実を、ようやく理解し始めていた。

 つらい通院の間に、幼少の頃具合が悪かったが、当時は寛解していた私の息子も遺伝子検査をO大学病院で受け、同じ変異があることを確認した。その後、T助教にO大学病院では検証実験はできない、と伝えられたのだが、私はT助教の書かれた論文で検証実験で病因性を検証したことが書かれていたので、O大学病院では無理でも、T助教の関係している他の大学で検証実験はできるものと誤解していた。

 冷却しても筋電図検査は完全に陰性のままで、通院の帰りに朦朧として電車を間違えたりと、いよいよ切羽詰まって、米国の患者会に約10万円の寄付をして、どうしてもL教授からSCN4Aの病因性の根拠を示してもらわないと、T助教は他の大学に検証実験を依頼するかもしれないんだ、と、L教授に私の質問への返信を督促してくれるように電子メールでお願いした。疑心暗鬼になっていた私はT助教が何かを隠していると思っていたし、それはおそらく他の大学に検証実験を依頼するルートがあるということだと考えていた。しかし、それは大きな間違いだったのである。

 次の診察の際に、T助教にもその旨伝えると、それは違うと、むっとしながら否定された。T助教が話して下さったのは、他の大学に依頼するルートがあるのではなく、もっとも最近にO大学病院で検証実験を行った患者でも最初に来院してから7年間かかるほど検証実験のペースが遅く、O大学病院では1年で一人しか検証実験できないということだった。また、後に気付いたことだが、当時、T助教は厚生労働省の難治性疾患事業の中では他の教授らの名前が下に連なる元締めの立場であり、2000万円近い研究費をT助教が、担当する疾患の範囲で割り振りしていた。T助教から、予算的により恵まれない他の大学に先天性パラミオトニーの検証実験を依頼しても受け入れられるはずがなかったのである。

 あれは私の誤解だったと、患者会の幹部に慌てて電子メールで訂正と言い訳をして、以前はT助教に加筆していただいた文章を私のメールアドレスから送っていたものを、T助教から直接にL教授に送ってみることになった。すると、L教授からすぐにはっきりとした返信が来た。筋電図陰性で、息子が健康ならば、検証実験をやったとしても陽性と出る可能性は"very very low"なので、私は検証実験を行うつもりはない、そう述べられたのだった。

 最終的にL教授とT助教の間で連絡をつなげることができたので、両者にとっては良かったのだろうが、私自身としては残念な結果となった。仕方なく、T助教が周期性四肢麻痺と先天性パラミオトニーの予算の元締めであるという状況に、少しほとぼりが冷めてから、他の大学で検証実験を行なってもらわなければならなくなった。dbSNP登録に関する変異の発見者の学術的優先度を調べた際に、私はT助教に非常に申し訳ない誤解をしていたことを知った。変異を発見したというのは、たとえ検証実験を行なわなくとも、学術的に絶対の所有権を意味する。他の誰かが発見した変異というのは、絶対に勝手に検証実験を行なって発表してはいけないものなのだ。・・・たとえ、発見者が検証実験を行うつもりがなくとも。

 私は、このルール自体が患者のためでなく研究者の利益のためのルールで、実情に則していないとも思った。そこで、発見者が検証実験について責任を持つべきだともL教授にほのめかしたのだが、L教授の態度は変わらなかった。

 ともかく、T助教は他の大学に他人が発見した変異の検証実験を依頼するような人間では決してなかったのである。研究者としては一流の人物であることは確かである。・・・医師として見た場合に言いたいことがあるが。

 一つには、T助教が2000万円という研究費を、検証実験をしないなら一体何に割り振っているのだろうかという点が気になった。当時、この研究費は先天性パラミオトニーや周期性四肢麻痺だけでなく、筋緊張性ジストロフィという私が調べたことがない疾患についても対象としていたため、この疾患について調べることになった。

 多くは親が子を作った後、発症する。しかしその時には子には優性遺伝で五十パーセントの確率で病気が遺伝している。しかも、子の方が親よりも重度で発症するのだ。親は子が発症するのを、自らの発症から二、三十年経て衰弱し、死んでいくまで眺めている。しばしば、子が親より早く亡くなるそうだ。筋緊張性ジストロフィという病には、優性遺伝の先天性パラミオトニーと同様に筋緊張の症状を伴うものの、「表現促進」と呼ばれる一クラス上の悲劇が追加される。近代医学に基づく重症度というのは個体が全てで、親子として見た深刻さが重要なことは理解されていない。

 これほど重度と言われる筋緊張性ジストロフィという病気が予算を分けられているのでなければ、私はなお強くT助教に検証実験を行うよう主張したかもしれない。しかし、患者の立場で親がどんな顔をして子の発症を見るのか想像してみると、とてもそんなことを主張し続けられるわけはなかった。

 この一連のエピソードは、患者としての性善と性悪の両方を表していると思う。自分が不幸だと思っているうちは、どうしても医師に対して攻撃的になる。医師のものを含んだような言い方に疑心暗鬼となり、医師を性悪的に誤解する。隠し事というのは伝搬するもので、医師が隠し事をすれば患者の方も隠し事をするし、その逆もありうるものなのだろう。その一方で、自分よりも遥かに重度の患者のことを知り、彼らの心中を想像して何も言えなくなる。

 「ドクターハウス」というアメリカドラマがあるが、患者を手段を選ばす診断しようとする変人かつ天才的な医師の話である。このドラマでは、基本的に患者は嘘をつく存在として描かれる。日本のドラマでの患者は、モンスターペイシャントを例外にして、ドクターショッピングの程度までは性善説に基いて描かれるのとは対照的である。いろんな意味でショックの連続で、日本語字幕版を全シーズン見てしまった。エクソームシーケンシングの結果を公表しようと思ったのも、症状をネット上で公開して診断を募るという、同ドラマ中のある患者のエピソードに感化されたためかもしれない。

 ドクターハウスでは極端な患者の例ばかりを集めたわけで、患者性悪説に傾き過ぎているが、日本の小中学校では患者性善説ばかりを教え過ぎている。あまりにも偏っているので、人間として患者も攻撃的にもなれば、それを過ぎて安定することもあると理解するまで、人によっては大人になるまでかかることもある。私自身がそう理解するまでに時間がかかった。

 この節のタイトル「患者性善説の終焉」というのは、多少大袈裟かも知れないが、誤解しないでいただきたいのは、患者が善ではなくなったと主張するつもりはない。あくまで本質として善、つまり性善である患者はいないという意味である。本質として善である患者もいなければ、本質として悪である患者もおらず、善であれ悪であれ医療者との相互作用で揺れ動くものだが、なるべくなら善へと傾きたいものだと思う。

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