2019年10月30日水曜日

ディストピアな未来像 - 生まれの平等性が崩れた世界

pubooからの転載です。

 現状として、21万円を支払えず大きな病院へ何度も通院できないような地方の貧しい夫婦ほど新型出生前診断(NIPT)が受けられず染色体異常症を患う状態となってきている。これは今後技術が進んでNIPTが高度になるほど深刻な問題となる。生まれの平等性を貫こうとすれば、かなり早い段階から、どの疾患からどの疾患まで妊娠中絶といったことをしていいか、そういった生まれのDNA検査のために貧富の差を含んでしまっていいのか、そういう民意への問いかけが本来はNIPTの導入前に必要であった。

 地方でなく都市部でもありがちな例として、妊婦が、男性側に妻子ある不倫交際だったため、自分の子だとすぐには認めず、出産にあたってNIPT費用の21万円を支払えず、しかしそれでも中絶よりも産みたいと思ったとき、ほぼ当たり前になりつつある検査を受けられずにリスクを背負い、その結果患児が生まれれば負担が増えてますます貧乏になるのは、ディストピアへの入り口なのである。

 多少、荒い言葉を用いれば、日本で国民全員を健康保険に加入させ、自治体の病院に血の滲むような病院経営を要求して平等な医療を実現してきたものを、出生前診断というヒトとして認めるかどうかという根本の部分で資本主義的に格差をつけることで、破壊しようとしている。現在の状態が何十年も続き、トリソミーが高価なDNA検査を受けられない貧しい家系だけの疾患となってしまったとき、日本社会は富裕層と貧困層に二分割されているであろう。

 そうならないためには、「ヒトとして生まれを認めるかという基準は限りなく平等でなければならない」。

 裕福な者はより高度な生まれのDNA検査を受けて、より優れた子孫を残せるという社会になってしまうと、悪化したとは言っても他の一部の国々よりましな日本の経済的平等性が、根本の部分から破壊されてしまう。いろいろと齟齬を生みながらも下げたり上げたりして、何とか他の一部の国々よりましな状態に保ってきた実効税率の累進課税の議論は、いったい何の意味があったのだろうか? 生まれの部分で優劣の違いができようとしているのだから、仕事ぶりを客観的に評価すればするほど、富裕層の方が仕事ができるという事実を肯定せざるをえない。後はもう坂道を転がるように差別化が進み、世代を経るごとに富裕層は更に高度な生殖医療に大金を支払って、自分達は貧困層とは生まれが違う、貧困層の社会保障など税金として払っていられるかと考えるまでになってしまう。

 「生まれが違う」

 この表現は、DNA検査が普及する前の時代には現在まで比喩的に用いられて来たが、今後は生殖医療や生まれのDNA検査によって、生まれの違いが、科学的な事実となってしまう。最初に、現状ととして、NIPTで染色体異常症が都市部の富裕層、中流層から排除されつつある。次にNIPTの対象疾患に単一遺伝子疾患が追加されて同様に排除されるだろう。その次は、[みんなが保因者の劣性遺伝病...]で述べた平均約10個の劣性病的変異と、糖尿病やアルツハイマー病といったコモンディジーズが排除されるはずだが、そうなると、対象とする病的変異やSNPsの数が急に多くなり、SNPs周辺を長目に入れ替える必要があるため、違った手順になるだろう。NIPTでは不可能で、着床前診断(PGD)の手順となり、胚のDNAを基本として、問題のない塩基配列を残して問題のある塩基配列の部分を入れ替えることになるはずである。

 そういったヒトのDNA編集によるディストピアを描いたSF映画としてイーサン・ホーク主演による『ガタカ』が特に有名だが、これはあくまで米国映画である。現在もNIPT、PGD、その他の男女産み分けの生殖医療で、世界を圧倒的にリードし続けるこの国は、資本主義的にそういったDNA検査、DNA編集の技術が販売されるのが当然のことと考える傾向がある。こういった考え方は多民族国家である米国独自の考え方で、まずは資本主義があって、後から社会保障を考え、激しい社会運動により、遅まきでも社会保障がそれなりに機能してしまうという、非常に珍しい体質である。

 日本はそうではない。コモンディジーズしか診療報酬点数が決まっていないような歪な平等医療が当たり前のこの国では、NIPTが単一遺伝性疾患を対象に含もうとした時点で、希少疾患の多くが最初から存在しない方が医療のシステムとして都合がいいため、鋳型となる理想的なゲノムを元に、顔形といった限られた形質だけ胚のDNAから取り込んだ、基本がクローンのDNA編集の方が高齢化による医療費の抑制策として現実的と考えられるかもしれない。この極端な解決策が実行に移されれば、一気に医療費は抑制され、しかも平等な社会が出来上がるはずだが、そうなれば、日本人がアジア人とは少し違う人種になってしまう。逆に、反対運動によりそうはならない場合を考えてみても、やはり米国流の富裕層だけのDNA編集が、国内で一般的になるはずである。実際にNIPTがそうだったように。日本の国内が富裕層と貧困層の二つに割れるという経験したことのない状態に陥るだろう。そうなると貧困層をどうやって日本から追い出して、他の国の優秀な労働力をその代わりに日本に入れるかという議論になってしまうのかもしれない。

 もしも、基本クローンのDNA編集、米国流の個性を最大限残したDNA編集のどちらも採用せずに、NIPTを単一遺伝子疾患へと拡大するのさえも否定すれば、他の先進国で導入したのに日本だけが立ち遅れたとして批判を受けるだろう。患ってしまった子の両親はこう思うかもしれない。
「技術的には予防することができるはずの疾患なのに、政府やガイドラインを作る学会が予防のための意思決定をご都合主義的に怠った結果、我が子が患ってしまったのだ。彼らは自分たちの息子や娘が患うまで放置するつもりだろう。だから、我々への補償は訴訟を起こしてでも求めなくてはならない」
医療訴訟は患者の重症度で多くは勝ち負けが決まる。生まれた時からNICUで寝たきりで、1歳にならずに天に召されるような典型的な遺伝性疾患の場合は、もちろん、重症度としては最大限に高いのである。

 現在までの技術の進歩を見ると、NIPTが単一遺伝子疾患を対象とするところまでは、事態は必ず進行する。結局のところ欧米のすぐ後ろを(リスクを避けて)付かず(批判を避けて)離れずで後追いしながら、なるべく国内で実施される生まれのDNA検査だけでも、健康保険の対象とすることで平等な仕組みを作っていくしか、できることはないはずである。十年も経てば医療費の抑制策になるはずなのだから、長い目で見ればNIPTは健康保険で助成されてもいいはずである。健康保険の対象にさえなれば、それなりに平等性が保てる仕組みが既に日本でできているし、単一遺伝子疾患を重度の病的変異から優先して段階的に排除できるようになる。そうなれば、日本のコモンディジーズ中心の医療で5000種類もある希少疾患を900万人から1300万人も診断するという無理な負担も大幅に軽減される。

 しかし、現在すでにNIPTで、資本主義的な格差が導入されようとしている。

 ここまでが、日本国内の生まれの平等性を、NIPTに健康保険を適用することで確保すべきという下りだったが、遺伝性疾患が既知の病的変異に限ってNIPTにより抑制された場合、例えば、ざっくりと十年後、つまり10歳に至るまでの間に、一人あたり平均でどのぐらいの規模の医療費削減につながるか、というのが、今後の課題として残っている。この計算はおそらく非常に困難であるため、本節ではここまでとしたい。

 ここからは多少遠い未来の話であるため、現実味が薄れるが、先述の基本クローンのDNAを編集ということに関して、地球規模の影響を考えると、似て異なる集団を攻撃する本能が発達したヒトという種において、生まれの基準が異なる別の集団を内部に抱えることは社会的不安要因になりうる。

 身近なところで『機動戦士ガンダムSEED』というアニメ作品の中では、特定の集団が出生前にゲノム配列を操作した結果、野生型とは別の集団として発展し、互いに戦争をする未来が描かれている。

 ヒトは、似て異なる集団を攻撃するという本能がもっとも発達した動物である。土地、食物、水が足りなくなった厳しい状況では、それらを分け合っている別の集団を殲滅した方が、自分の集団が生き残る確率が向上する。だから別の食物を摂取する他の種よりも、同じ食物を摂取する類似種の集団の方が、殲滅すべき対象なのである。こうした事実を説明したところで不愉快な思いをするだけなので学者達はあまり説明したがらないが、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人の集団を殲滅し、唯一の存在として生き残った。[23andMeのその他の結果]の節で私自身のネアンデルタール人のDNAの割合を紹介するように、我々は個体としては数パーセント程度ネアンデルタール人のDNAを引き継いではいるが、集団として見た場合にはやはり殲滅したと考える方が適切だろう。逆に我々がネアンデルタール人のDNAを引き継いでいることが、2つの集団が同じ地域に住んでいたことの証拠なので、いったん争いが起これば、おそらく言語能力に差があったろうから、現代のようになるべく話し合いの姿勢で臨んだとは思えない。話し合いの通じる現代でさえ、現在もまだ19万人の死者が出ている。

 もしもヒトで似て異なる集団を攻撃する本能が弱ければ、猿にもいろんな種があるように、ヒトにも言語能力の異なる様々な亜種が存在してもいいはずである。言語能力に関してアフリカ人でもアジア人でも不思議なくらい平等で、米英に生まれば誰でも流暢な英語を話し、日本に生まれば不思議なくらいみんな英語が苦手である。それでも辞書を引きながらそこそこの意思疎通は図れるのに、事実として2014年10月現在イラクでは戦火が拡大中である。やはり敵を個人ではなく集団として認識して攻撃する本能が、ホモ・サピエンスはとても発達していると言えるだろう。もちろんよい方向の発達ではない。

 希少疾患を放置して感染症などで偶発的に天に召されるに任せているのは、日本以上にアジア諸国でも言えるので、NIPTの拡大により希少疾患への対応の問題を一気に解決するにも、周辺国にも情報が行き渡り利益がある形でオープンに進めるべきと思われる。その方が、国によってDNAのグレードが違うなどという、不必要な齟齬を生まずに済むはずである。

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