2019年10月30日水曜日

着床前診断の問題点 - NIPTとの倫理的違和感

pubooからの転載です。

 [中絶による母体へのダメージ...]の節で、NIPTが対象疾患を拡大した場合を想定し、一度目の妊娠でNIPTが陽性となり中絶した場合、二度目の妊娠・出産の成功率が荒い試算で32~64%と低くなるため、軽度の疾患の場合迷うところだろうと述べた。特に単一遺伝子疾患の場合や、夫婦染色体検査で陽性となった場合には、二度目の妊娠・出産を無思慮に行っても、一度目の妊娠と同じ結果になる可能性が高く、しかも、加齢とアッシャーマン症候群(AS)により状況は悪くなっていく。結局欧米で行っているように体外受精と着床前診断(PGD)の組み合わせで対応するしかない。

 体外授精に関しては日本はクリニックの数も実施症例数も豊富なので、問題は生命倫理に抵触しがちな着床前診断(PGD)の方である。タイで代理母を多数雇う資産家のニュースで誰もが知ってしまったように、タイはアジアでは例外的に生命倫理からの拘束力が緩く、人件費が安いため海外からの顧客を対象とした出生に関するビジネスが乱立している。日本も法的に厳しいわけではないが、事実上厳しい。基本的には、タイでも米国でも、現地を2回訪れないといけないようだ。しかし、冷凍受精卵輸送により日本にいながら米国でのPGDが可能としているエージェントが存在し、タイでのPGDでも同様のエージェントが存在する。特に後者の方は、一般に知られている相場よりもあまりにも安いことを公表しているため、鵜呑みにしていいのか全く分からない。おそらく、受精卵を冷凍すること自体は、大きな問題ではなく、現地に渡航した場合にも一度は冷凍するのではないかと思う。問題は日本から輸送すると必ず2回以上冷凍しなければいけない点ではないかと思うが、冷凍回数と成功実績の関係を数値で示していただかないことには判断材料がない。

 NIPTで陽性が出た場合という、稀なケースに言及してPGDのテーマに入ってしまったが、この流れからも示唆されるように、NIPTはPGDと倫理的にあまり違いがない。次の図のように、一つの図の中にPGDとNIPTの両方の手順を置いて比較してみた。こうしてみると、生命倫理のポイントとして、PGDでは「選別」という手順が入るのに対し、NIPTでは「中絶」という手順が入る。この二つを同罪とみなすか、選別の方がたくさん胚を排除するから罪が重いと考えるか、中絶の方がヒトの顔形に近いから罪が重いと考えるかということになる。これ以降は1細胞のことを受精卵と述べ、卵割して複数の細胞になったものをと記す。

 私は選別で排除される胚の数が、科学的な根拠のある透明性の高い基準にそって制限され、医療目的でない男女産み分けなどという実にくだらない理由のために不当な数の胚が排除されるのでなければ、PGDの方が、妊婦の受ける肉体的および心理的ダメージの両方を軽減できるという点から好ましいと思う。

 医療目的でない男女産み分けについて補足すると、[男女産み分けの国際比較...]の節で詳しく触れるが、ヨーロッパでは少しずつ重症度の低い遺伝性疾患までPGDを拡大しつつ、一度医療目的でPGDが認められ、胚として男女両方が得られ健康上等価であれば、付随的に男女の産み分けを認める方向にある。条件が複雑だが、非常に合理的な考え方をしている。

 PGDは、国内で行うか、海外で行うかにより、違いが出る。本来は国内で平等に行うべきところが、主として透明性の高いガイドラインの不在によって、事情を詳しく知る者だけが国内で利用して、それ以外の大多数は海外で利用する状況になっている。もちろん産婦人科医の方々が良心で動いて下さっているのは間違いない。しかし、結果として状況は患者のためにならない方向で動いてしまっている。NIPTの導入についても、技術的に見ればよいことだったと思うが、生命倫理の点からPGDと大きな差がないと思われるため、違和感はいっそう増した。

 本来ならば、NIPTが採血だけで済むというお手軽な理由でなし崩し的に実施されるのであれば、PGDも範囲を限定して実施基準を透明化すべきであった。

 2014年9月現在のところ、日本産科婦人科学会がPGDに対する「見解」を公表しているが、あくまでガイドラインという名称でもなければ、法的拘束力も全くない「見解」なのである。その割に「適応の可否は日本産科婦人科学会(以下本会)において申請された事例ごとに審査される」と患者にとっては不透明で、学会の立場を強めるのに都合が良い基準が導入されている。この結果、一部で学会見解の拘束力のなさを知っているクリニックだけが100例を越えるPGDに踏み切る一方で、国民の多くはこういったものは「闇」で行なわれているものなので、金を積みさえすれば海外で体外受精してPGDによる男女産み分けまで許され、国内の「闇」のものよりむしろ合法だと考えてしまっている。この結果、海外への体外授精とPGDの紹介ビジネスが基準がないまま乱立することとなり、NIPTという次の技術が登場して現在に至っている。

 政府が日本産科婦人科学会にPGDの見解を示すように促したという記述は検索しても出てこないので、ある意味、この見解そのものが非公式のもので「闇」とも言える。むしろ「次世代の日本国民の間引き」の基準を国民投票などの公的な手段でオーソライズするのを阻み、学会が申請を受理するかどうかという不透明な基準により、ごく一握りの権力のある産婦人科医が自分達の胸三寸のものにしようとしているかのようだ。だったら、日本産科婦人科学会ではなく、似たような名前の日本産婦人科医会の方がホームページが分かりやすいし、別の学会で基準を透明化してくれてもいいのではないかと考えるのが普通である。混同しやすい似たような名前の2つの学会が存在すること自体、公的に区別されなければならないほどの存在でないのを自ら認めているようなものだ。政府が基準を明確にせずに1990年に行われた世界最初のPGDから24年間も放置しているなら、いくらでもある地域の産婦人科学会でローカルに基準を透明化してもらった方がむしろ健全なのではないかという考え方もある。とくに先端医療開発特区が唱えられる近年は、一部地域だけが全国での特定の医療の実施よりも先行するのに不自然ではなくなった。

 NIPTとPGDは同じ生命倫理的基準で取り扱われるべきであり、NIPTが認可されるのにPGDが基準を明確にして認可されないのは、欧米の状況を調べれば調べるほど矛盾が大きい。結果的に、事情を知る一部の人々だけが国内で利用して、さらにお金持ちだけが男女産み分けのために海外で利用して、情報が得られずお金もない者は、遺伝性疾患を患っていても利用できない、それを許容するような見解なら、ガイドラインとさえ呼ばれていないような見解に従う必要があるのだろうか。その効力を疑うべきだと私は思う。

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