2019年10月30日水曜日

生まれる前のDNA検査 - 科学的因果関係の追求ライン

pubooより転載です。

 [環境因子か遺伝因子か]の節で、迷った際には、その中間の半々という仮定を導入することで、極端な判断を避けるべきだと述べた。この仮定は、子にとって人生最初の、そして場合によっては最後の、遺伝学的意思決定である、出生前診断と中絶に対しても有効かもしれない。

 用語として、[遺伝学用語の混乱...]でまとめたように、遺伝病というとメンデルの法則で遺伝する単一遺伝子疾患を指し、遺伝性疾患というと遺伝病と染色体異常症を合わせて述べる。

 新型出生前診断の略称として、NIPTを用いる。新型出生前診断という名称は日本で名付けられたものであり、略称が存在しないため不便である。技術的な発祥の地である米国を始めとして世界中でNIPT(Non-Invasive Prenatal Testing)またはNIPD(同 Diagnosis)と呼ばれているため、ヒットカウントでは新型出生前診断の方が大きいものの、詳細な文献を探すことはできない。以下にグーグルを用いたヒットカウント分析の結果を示す。

"Non-Invasive Prenatal Testing" 約 65,200 件
"Non-Invasive Prenatal Diagnosis" 約 56,500 件
"Non-Invasive Prenatal" NIPT 約 23,900 件
"Non-Invasive Prenatal" NIPD 約 16,000 件

"新型出生前診断" 約 98,800 件
"新型出生前検査" 約 19,600 件
"無侵襲的出生前検査" 約 4,730 件
"非侵襲的出生前診断" 約 1,260 件
"非侵襲的出生前検査" 約 348 件
"無侵襲的出生前診断" 10 件
"非侵襲性出生前検査" 7 件
"無侵襲性出生前検査" 3 件

日本語と英語であまり対応しておらず混乱がみられる。診断と呼ぶか検査と呼ぶかは、微妙なニュアンスの違いで、一般的には診断の方が検査とカウンセリングの両方を含むことが多いのに対し、検査の方はカウンセリングを意識せず技術的意味で用いることが多い。本節ではその部分はあまり触れずに、短くて普及しているNIPTを用いたい。
  
 妊婦の血液採取だけで21トリソミー(ダウン症候群)、18トリソミー(エドワーズ症候群)、13トリソミーを検査できるNIPTが開始された。現状、都会の病院に何度も通院できて費用が支払える者に限るという条件がつくことは、後の節で、貧困層だけからトリソミーが生まれるという新しく導入される格差の課題として扱いたい。生命倫理の建前論から反対している知識人達も患児が生まれたら自分達が代わりに育てるとまで公言して反対している者は、知る限りいない。むしろ、生命倫理の観点から反対するのは全く逆ではないかという考えをまず最初に述べたい。

 「生まれたら」、と何気なく記してしまったが、常染色体トリソミーは生まれずに胎児までの段階で天に召される症例の方が多いのである。特に18トリソミーと13トリソミーはそうで、生まれても一歳の誕生日を迎えられる患児は僅かである。具体的には、18トリソミーで一歳の誕生日を迎えられるお子さんは10%と述べられている。13トリソミーについては20%と読める。21トリソミーでは88~96%と読める。トリソミーという疾患全体の基本的な特徴として、番号が若くなるほど重度である。つまり、重症度は21<18<13の順となっており、逆に患児の数は21>18>13となる。だから、13の方が18より1年生存率が高いというのは、おそらく、文献の記された国や年による影響であろう。近年になるほど日本の1年生存率はNICUの整備により伸びているはずである。Wikipediaでは情報が少ないので、18トリソミーの患児会と、13トリソミーの患児会へのリンクを示す。

 これ以外の常染色体トリソミーはなぜ存在しないのかという疑問が浮かぶが、重度すぎて出生まで至らず胎児の段階で天に召されること、つまり流産すると述べられている。トリソミーになっても症状が比較的軽度の遺伝子ばかりが載っている21、18、13だけが産まれることができた疾患として患児を数えられるという状況である。しかし、「比較的軽度」などと言うのは、とんでもない話で、様々な遺伝病と比較してもトリソミーの重症度は非常に重い方である。しかし、これらトリソミーが全て「症候群」と呼ばれている理由は、患児によって重症度に大きな幅があるためである。この理由は、推測だが、関与する遺伝子の数が染色体一本分ととても多いため、3本の染色体の上にのっている変異やSNPの相性によって、重症度に幅ができてしまうものと思われる。

 具体的にどのぐらい幅があるのかという画像検索の結果を示したいが、その前に、抗うつ剤を処方されている方々は、以下のリンクをクリックする前に、処方量を守って服用したことをご確認いただきたい。これからご両親になられる方々のうち、妊婦の方々は、画面から目をそむけた上で、先に男性の方に見るように促していただきたい。産婦人科医の方々は患者の心を守るという医師としての努めが半分、不妊治療を続けさせるという打算が半分でリアルを患者に伝えないが、私にはそういう義務はなく、その代わりにやはり科学的にどこまでがリアルなのかを追求した上で、後から過酷な科学的追求から心を救う方法を考えることにしている。私から見ると産婦人科医の方々は過保護すぎると思え、私も後から気付いたのだが、人の親になるにあたって、様々な病気と直面していかなくてはならないのである。どんな病気なのか、患児の姿をまず知らずに、文章による説明だけでNIPTを受けるかどうか考えるというのは無理がある。このような長い前置きを置くだけの理由があるとご理解いただいた方々だけ、クリックしていただきたい。



21トリソミーについては、詳しく別の節を設けるため、ここでは示さない。21トリソミーは全体的に比較的軽度なはずだが、心臓病といった画像では見えない部分の重症度が患児により幅がある。

 私は、様々な遺伝性疾患がヒトがここまで進化してきたことの代償を支払わされている、犠牲者であると主張している。おそらくこれはトリソミーといった染色体異常症にもあてはまるのではないかと思う。高齢になってから出産するとダウン症候群が増えるのは、男女が40歳近くにならないとめぐりあわないほど個体数が少なくなった状況であり、自然環境で考えると絶滅寸前である。環境に適応できずに絶滅を待っているこの状況では、種としての変化が求められるはずで、21、18、13トリソミーも他の遺伝性疾患と同様に進化の犠牲者であろうと思われる。つまり、進化的に都合がよいから染色体異常症という疾患が抑制されずに現在まで残ったのであろう。言わば、進化の代償として、我々には染色体異常症を引き起こす機構が内蔵され、多数が助かるためには、無作為に神の見えざる手により選ばれる少数が犠牲とならねばならないのであって、そういう意味で、社会は染色体異常症の患児に感謝して、支援の手を差し伸べていただいてもいいのではないだろうか。ただ、科学的因果関係として複雑なのは、ご両親の年齢に依存するという部分と、ご両親自身が何らかの染色体異常症を患っている可能性が存在する点である。これらは遺伝病も同じで、結局自身が検査を受けて、今後の妊娠がどうなるかを分かる範囲で調べ、それぞれのやり方で納得していくしかないであろうと思われる。[中絶による母体へのダメージ...]の中で、NIPTで陽性となった場合に次の妊娠が問題なく進む確率を検討する。

 ここまでで分かるように、実は、NIPTで21、18、13を分けて考えていないことで、混乱が生じている。確かに18と13は成人の患者が存在する21と比較すると人口として圧倒的に少数派なのだが、本著は希少疾患について調べている。もしかすると検査の申し込みの上では、21だけを受けないという選択肢が記されているのかもしれないが、検査費用としての21万円が安価になるわけではないため、選択肢が用意されていたとしても3つのトリソミーをまとめて受ける妊婦が多数であろうと思われる。18と13は、21と比較して非常に平均寿命が短く、奇形も多いため、21とはまた違った倫理的選択がありうるであろうと思われる。つまり、運がよく元気で、比較的長生きした患児のご両親のコメントだけが注目され、そもそも流産してしまってご両親とは呼ばれなくなった方々のコメントはほとんど注目されない。これは染色体異常症で際立ってはいるが、単一遺伝子疾患でも似た状況である。ダウン症候群全体の中の軽症例だけを我々は報道で知っているのであって、重症例ほど表に出ない。私は、本著の最初の方で約23000個の遺伝子に変異がばらけるから遺伝病は希少疾患となるのだと仮説を建てたが、おそらくトリソミーについても23対の染色体にほぼ同じだけ不分離による膨大な人数のトリソミーの患児が存在し、我々は出生した患児だけしか気にしていないということなのではないだろうか。生命の平等性に本当に着目し、胎児もりっぱな生命だから中絶はだめだと主張するならば、流産して生まれなかった胎児の数も統計から探し出してきて述べるべきなのである。そうしないのは、やはり、生命は卵子や精子に近いほど、手足を持つヒトの形をとっておらず、また中絶となった場合の痛みも感じにくいと考えられるからではないだろうか。

 したがって、18、13トリソミーについては、特に先述の画像検索の結果として示したような奇形が3D超音波で明らかに確認できた場合、ご両親が二度とあかちゃんを望まないほどショックを受けてしまう前に、また闘病に伴ってノイローゼを患う前に、なるべく早い段階で中絶をする方が適切とも考えられる。しかし、本著の冒頭で「科学はこころを救わない」と述べたように、ショックを受けたりノイローゼを患う場合というのは、科学的因果関係を追求する人たちだけの問題で、因果関係の追求を、次の妊娠の際にどういった問題が予想されるかだけに留めれば、乗り越えることが可能な問題でもある。具体的には、ご両親のDNA検査や染色体検査をして、産婦人科医が問題なしと言えば、それを信用して自分では必要以上に調べないことも、こころを守るための一つの選択と言える。しかし問題はもうひとつあって、母親、父親のうち、父親の方が理系の考え方をして因果関係と追求するために、母親の方が因果関係を追求したくないのに苦しむといった状況が、インターネットで疾患の情報を検索出来る時代になってから頻発していると思われ、また母親だけが因果関係の追求に拘る場合も、理系女子が増える時代なのだからありうると思われる。ご両親のうち因果関係の追求に拘らない方が、拘る方に、どこまで因果関係の追求を望むか、確認と念押しが必要であろうと思われる。

 もしも産婦人科医がよい人だったり、遺伝カウンセラーの方がいたりする場合には、どこまで拘るかという問題そのものにアドバイスを求めるのも一つの手である。どこまで拘るかを早めに合意しないことには、子の生まれに関することだけに、両親ともが包括的な知識がない中でむやみに真剣になり、最終的に離婚まで至った夫婦も多いはずである。[希少疾患全体の罹患率...]でも欧州の患者会による文書から別の遺伝性疾患の悲惨な例を示した。子が病んだままそんなことになった場合は悲惨だが、健常者の家庭でも稀に虐待といったことが起こっているこの社会ではそれが現実である。しかし、そんなことを調べても不愉快になるだけなので統計としては存在しないだろう。子の疾患の原因を自分ではなく夫や妻が原因と考えたり、逆に自分が原因と決めつけたりと、半分は科学的に真実なのでこれらは否定が難しく、「どこまで因果関係に拘るか」決めることが重要なのだと認識するまで時間がかかるのが普通である。私自身がそうであった。極端なことを言えば、最終的にどこまでもこだわれば心中という道しか残されなくなるため、早めに「このぐらいまでやって諦めよう」「あなたもこんなに調べたら気が済むでしょ」というラインを設けることが重要である。おそらく、これは中絶を選択した場合と選択しない場合の両方に当てはまる。

 NIPTに話を戻すと、将来の話だが、21トリソミーは患児数また成人した患者数が多くGWASやDNA検査に基づく比較が適用しやすいため、NIPTにより心臓病といったより細かい区分で重症度が判断できるようになる可能性がある。そういった場合に、やはり一つの基準として1年生きられる見込みが何割かという観点から、ご両親になるべく正確な予測確率をお伝えして、判断材料を提供すべきではないだろうか。21トリソミーはあまりにも長生きされている患児とそのご両親の声だけが前に出すぎている。4~12%の1歳を超えることなく天に召されたダウン症候群の患児の方が苦しく短い人生を歩んだはずなので、こういった予測が可能になるのであれば、これらは重症度としては18、13の方に近い症例ということになる。ダウン症候群を患っている方々の中には比較的軽度でも長く生きれば苦しいのだと考える方々もおられるかと思うが、自らが苦しいからこそ、なおさらそういった苦しみを新しい生命に味合わせるべきではないのではないだろうか。いずれにせよダウン症候群は、症候群であるので、重症度に大きなばらつきが大きいことを前提に、NIPTそのものも改善していくべきと考えられる。

 念のため、再度ご留意いただきたいのだが、私はNIPTに技術的には賛同するが、DNA検査としての技術面から調べれば調べるほど、NIPTが将来的に遺伝性疾患全体を対象とするであろうと技術予測ができるため、倫理的には、遺伝性疾患全体で一度は大反対をした方がいいと考える。詳しくは後々示したい。

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