2015年3月31日火曜日

Wallace2001(引用元 259) サイトカインの影響

Wallace, D. J., et al. "Cytokines play an aetiopathogenetic role in fibromyalgia: a hypothesis and pilot study." Rheumatology 40.7 (2001): 743-749.

Abstract

Objective. To measure soluble factors having a possible role in fibromyalgia (FM) and compare the profiles of patients with recent onset of the syndrome with patients with chronic FM.

Methods. The production of cytokines, cytokine‐related molecules, and a CXC chemokine, interleukin (IL)‐8, was examined. Fifty‐six patients with FM (23 with <2 yr and 33 with >2 yr of symptoms) were compared with age‐ and sex‐matched healthy controls. Cytokines and cytokine‐related molecules were measured in sera and in supernatants of peripheral blood mononuclear cells (PBMC) that were incubated with and without lectins and phorbol myristate acetate (PMA).

Results. No differences between FMS and controls were found by measuring IL‐1β, IL‐2, IL‐10, serum IL‐2 receptor (sIL‐2R), interferon γ (IFN‐γ), and tumour necrosis factor α (TNF‐α). Levels of IL‐1R antibody (IL‐1Ra) and IL‐8 were significantly higher in sera, and IL‐1Ra and IL‐6 were significantly higher in stimulated and unstimulated FM PBMC compared with controls. Serum IL‐6 levels were comparable to those in controls, but were elevated in supernatants of in vitro‐activated PBMC derived from patients with >2 yr of symptoms. In the presence of PMA, there were additional increases in IL‐1Ra, IL‐8 and IL‐6 over control values.


Conclusions. In patients with FM we found increases over time in serum levels and/or PBMC‐stimulated activity of soluble factors whose release is stimulated by substance P. Because IL‐8 promotes sympathetic pain and IL‐6 induces hyperalgesia, fatigue and depression, it is hypothesized that they may play a role in modulating FM symptoms.

引用元数が大きく、非常に重要な文献のはずなので、記しておきますが、内容はまだ把握できておりません。

なんちゃってメタ分析的に

線維筋痛症にカイロプラクティックが効いたとされる論文の引用元数が極めて多い。
末梢神経障害として原因を調べている論文のおよそ30に対しておよそ130なので、4倍の差である。
不本意だが、カイロプラクティックなり体の歪み治療なりが、線維筋痛症に効くとするエビデンスは存在する。
・・・カイロと体の歪みは違うのだろうが、そこまでは追求しないことにした。
・・・・・・ともかく、原田樹先生の体の歪みで治った的な宣伝にも一理あるということでした。

Holdcraft2003(引用元130)線維筋痛症と代替医療

Holdcraft, Laura C., Nassim Assefi, and Dedra Buchwald. "Complementary and alternative medicine in fibromyalgia and related syndromes." Best practice & research clinical rheumatology 17.4 (2003): 667-683.

Blunt1966(引用元125) 線維筋痛症とカイロプラクティック

Blunt, Kelli L., Moez H. Rajwani, and Rocco C. Guerriero. "The effectiveness of chiropractic management of fibromyalgia patients: a pilot study." Journal of Manipulative and Physiological Therapeutics 20.6 (1996): 389-399.


Oaklander2013 線維筋痛症の特異的器質的所見が末梢神経障害として見つかる1

Objective evidence that small-fiber polyneuropathy underlies some illnesses currently labeled as fibromyalgia
細い線維多発神経障害が線維筋痛症と現在ラベル付けされた若干の疾患の基礎をなすという客観的なエビデンス
著者:UECEYLER Nurcan (Univ. Wuerzburg, Wuerzburg, DEU)、SOMMER Claudia (Univ. Wuerzburg, Wuerzburg, DEU)
資料名:Pain 巻:154 号:11 ページ:2569
発行年:2013年11月*

Oaklander, Anne Louise, et al. "Objective evidence that small-fiber polyneuropathy underlies some illnesses currently labeled as fibromyalgia." PAIN® 154.11 (2013): 2310-2316.

引用元 33

タイトルは一致しているのに著者とページ数が異なっている理由はわからず。

勉強家な内科医による短い解説

Albrecht2013 線維筋痛症の特異的器質的所見が末梢神経障害として見つかる2

Albrecht, Phillip J., et al. "Excessive peptidergic sensory innervation of cutaneous arteriole–venule shunts (AVS) in the palmar glabrous skin of fibromyalgia patients: Implications for widespread deep tissue pain and fatigue."Pain Medicine 14.6 (2013): 895-915.

引用元 11

Excessive peptidergic sensory innervation of cutaneous arteriole-venule shunts (AVS) in the palmar glabrous skin of fibromyalgia patients: implications for widespread deep tissue pain and fatigue.
線維筋痛症患者の無毛の手のひらの部位における、皮膚の動脈毛細血管シャント(AVS)の、過剰なペプチド作動性の感覚神経支配:広域深部組織痛および疲労の可能性(かにゃ?)
日本語での勉強家な内科医による解説

Abstract
OBJECTIVE:
To determine if peripheral neuropathology exists among the innervation of cutaneous arterioles and arteriole-venule shunts (AVS) in fibromyalgia (FM) patients.

SETTING:
Cutaneous arterioles and AVS receive a convergence of vasoconstrictive sympathetic innervation, and vasodilatory small-fiber sensory innervation. Given our previous findings of peripheral pathologies in chronic pain conditions, we hypothesized that this vascular location may be a potential site of pathology and/or serotonergic and norepinephrine reuptake inhibitors (SNRI) drug action.

SUBJECTS:
Twenty-four female FM patients and nine female healthy control subjects were enrolled for study, with 14 additional female control subjects included from previous studies. AVS were identified in hypothenar skin biopsies from 18/24 FM patient and 14/23 control subjects.

METHODS:
Multimolecular immunocytochemistry to assess different types of cutaneous innervation in 3 mm skin biopsies from glabrous hypothenar and trapezius regions.

RESULTS:
AVS had significantly increased innervation among FM patients. The excessive innervation consisted of a greater proportion of vasodilatory sensory fibers, compared with vasoconstrictive sympathetic fibers. In contrast, sensory and sympathetic innervation to arterioles remained normal. Importantly, the sensory fibers express α2C receptors, indicating that the sympathetic innervation exerts an inhibitory modulation of sensory activity.

CONCLUSIONS:

The excessive sensory innervation to the glabrous skin AVS is a likely source of severe pain and tenderness in the hands of FM patients. Importantly, glabrous AVS regulate blood flow to the skin in humans for thermoregulation and to other tissues such as skeletal muscle during periods of increased metabolic demand. Therefore, blood flow dysregulation as a result of excessive innervation to AVS would likely contribute to the widespread deep pain and fatigue of FM. SNRI compounds may provide partial therapeutic benefit by enhancing the impact of sympathetically mediated inhibitory modulation of the excess sensory innervation.

2015年3月27日金曜日

啓発デーまわりの情報の暫定的なまとめ

訂正:当初、サンダークラップで共通の単一のメッセージしか発信できないと記していたのは間違いでした。ツイッターに投稿するメッセージも編集できます。

5月12日の啓発デー周りの情報収集を行ったので、暫定的にまとめる。

英語版のサンダークラップはすでに走りだしている。・・・というか、今日の時点で既に1ヶ月も早くに100人集める目標を達成してしまった。後はどのぐらい増えるか楽しみである。ただ、洪水として流されるツイートが英語なのと、日時がEDTなのでJSTでは翌日深夜1時ということらしいため、やはり日本語のサンダークラップキャンペーンは別にあった方がよいと思われる。もちろん、両方参加すればなお。


実際に参加して手順を確認すると、次のようになった。

赤いボタン3つが横一列に並んでいる真ん中の[support with TWITTER]を押す。
[ADD MY SUPPORT]ボタンを押して参加する。
日本語のダイアログボックスで認証する。
[No thanks]を押してそれ以上の情報は必要ないことを示す。
右上の×を押してダイアログボックスを閉じる。


サンダークラップ以外にも、各人で思うところを、各人で思う宛先、つまり安倍首相とか厚労省とかに、送ることもまた有効であろうと思われる。その日時としては、やはり5月12日の正午であろうと思われる。実際、英語版のサンダークラップはEDTの5月12日正午に設定されている。ただしその場合、画像を含むことは推奨されない。あるいは画像を含むツイートは時間差をもうけて送信すべきである。サーバーダウンの可能性が大きくなるからである。テキストだけであればダウンする可能性は低いであろう。

後でみんながどんなツイートを行った確認するためのハッシュタグとしては、英語版のサンダークラップのメッセージに次のように含まれているため、日本の方も準拠すればいいのではないだろうか。

啓発デー総合 #may12th
慢性疲労症候群 #mecfs #MyalgicE 
線維筋痛症 #fibro #fm

未診断は適当に #未診断 なのかな?


サンダークラップキャンペーン用のページに掲載する動画を探したが、芳しくなかった。

FMを患いながら女医となった原田樹さんを特集した富山テレビのYouTube動画は素晴らしい。
しかし、どうやら非公式にアップロードされたもののようなので、線維筋痛症友の会の公認をもらった上でサンダークラップを行なうのには使えない。友の会の非公認のままサンダークラップをやるなら、現場的に私がクレームを受ければ済むのでかろうじて使える。しかし、原田樹さんの現在のブログを調べてみると、体の歪みを治してFMが治ると述べられているので、現在のFM治療の主流ではない。私は理解できなかった。困ったもので、どんなによい動画であろうと、これでは話がややこしくて使えない。

プー坊ステーションなる動画がアップされていて、製作者そのものによるアップロードのようなので、こちらは使えるが・・・癒やし系すぎる。初音ミクをマスコットに使ってアイキャッチした後に、過酷系の動画でFMへの理解を訴える効果を狙うという目的を満たさない。

しかたがないので、英語版に字幕を付けるという方向を考えたが、時間がかかる。AmaraというサイトでYouTube動画に独自の字幕をつけられることが分かった。中途半端な時間では無理なので、よく計画しないと作業に入れない。5月12日以降の話にした方が無難である。

それでも、是非字幕をつけた方がいいと思われる動画を一つ見つけた。
女性が付き合っている男性に対して、どのように説明したら状況を理解してくれるか、実に具体的に解説してある。8割が女性患者というリアルに合致し、しかも、アロディニアによる触れられる痛みへの理解ということが一つのテーマである。はずかしがりな日本では作り得ない動画であり、英語版から導入するということが自然である。しかも・・・アニメである。もしかすると、作者さんがアニメ好きなのかもしれない。Amaraによる外部字幕と言わず、作者のお手を煩わせることになるがYouTube自身に字幕をつけられるかもしれない。

いずれにしても、思わぬ成果はあったが、サンダークラップ用の動画は決まらなかった。

2015年3月26日木曜日

小児のための投票権

UNdiagnosed』にまとまりをもたせるために、節の分離作業を行っています。

  小児の投票権というのは、ずいぶん乱暴な意見だとみなされることは承知している。それでも、少子高齢化の今だからこそ、問題提起を本格化すべきだと思う。ただ、本当に小児に投票権を与えようと主張するわけではない。小児向けの法案が国会を通過しやすくするために、小児の両親のどちらかによるもう1票をもうけてもいいのではないか、という意見である。

 本著で扱っている遺伝病ひいては希少疾患と、小児医療の関係について、少し整理をしておきたいと思う。ヒトがヒトの姿形で生を受けるのを決定づけているのはDNAである。それゆえDNAの病的変異は胎児や新生児の段階で発症していることが多い。その後も体が成長を続けている間は、希少疾患を発症することが多いが、成人となって安定する。一部の疾患の例外はあるが、全体的な傾向として、年齢を経るにしたがって、希少疾患よりも成人病を含むコモンディジーズが相対的に多くなる。必然的に小児医療は成人医療と比較して、希少疾患のウェイトが大きい。EUの患者会の連合組織であるEURORDISによると希少疾患の患者の約半数が18歳以下である。
  
 高齢化が進むにつれて、医療政策の中心年齢も上がっている。つまり現代医療は成人病やガンといったコモンディジーズをより重視するものへと変わってきた。単純計算で考えても、寿命が60歳だった時代には、10歳までの医療は6分の1の重みであったが、約90歳となった今では、10歳までの医療は9分の1の重みへと減じられている。加えて、成長途中を扱う小児医療は特殊なので、成人以降の医療とは別に考えなければならない。しかし、最大多数の最大幸福を求める民主主義が機能すればするほど、少子高齢化の日本では、成人向け医療のウェイトが上がって小児医療のウェイトが下がるのは、民主主義国家の宿命として避けられない。

 「動脈硬化性疾患は、壮年期の働き盛りの患者に多発するため社会的損失が大きく」
 このような主張がが恥ずかしげもなく行なわれるようになって久しいが、ならば日本国憲法第14条として掲げている法の下の平等は何なのだと問いたい。働き盛りの患者を守る法案ばかりが通って、まだ働いてもおらず役に立たない遺伝病の小児を守る法案は通らなくてもいいというのであろうか? 確かに社会的損失は小さいが、それでも生命はなるべく平等に守られるべきではないだろうか? 極端な話、90歳の老人に健康保険で生涯まかなった医療費と同じ額を、重症の患児が死亡するまでの間に支払い可能とする。そういう絶対的な医療経済的な平等が実現したら、遺伝病の研究はどれだけ進歩することかと想像したことがあった。しかし、そこまで至るまでには何世紀もかかることだろう。取り急ぎ今後数十年の間には、世界一の長寿国として、せめて高齢化に対応した小児医療のバランス回復を行うべきではないだろうか?

 確かに、憲法の掲げる平等選挙の概念と矛盾するかもしれない。どんな人間に対しても一人一票が原則なのは分かるが、法の下の平等というのは、法体系的に平等選挙よりも上位の概念のはずである。と言っても、専門家ではないので見かけ上そう思えるという主張にすぎないので、間違っていたら、どなたか正確なところを教えていただけるとありがたい。そして、憲法で掲げるもう一つの概念である生存権を考えた時、小児医療の法案が成人向け医療の法案よりも通りにくいことで小児の生存権が侵されているものを、両親の片方に対して代理投票権を付与することで補完するのは適切とは考えられないだろうか? 小児へのインフォームド・コンセントを、インフォームド・アセントと呼んで両親を含んだ特殊な形のインフォームド・コンセントとして実施すべきと言われるのだから、投票権も両親を交えて特別な形で付与していいのではないだろうか?

 正直に言ってしまうと、私自身も喉元過ぎれば熱さを忘れるとそしられても仕方がない立場だ。息子が筋弛緩様の症状を示していたおよそ7歳までの間は、なんでこんなに両親にばかり負担を求める社会制度になっているのだろうと不満ばかりだった。子供をもうけて初めて知ることになる制度ばかりで、しかも第二子をもうける気は全くなかったことから、すでにどんな制度上の矛盾に困っていたか忘れつつある。経済的援助というのは多くが間接的で、一度が両親が支払う形の費用を還付請求を適切に行うことで補うというパターンが多かったように記憶している。息子がO大学病院の診察を受けた際にも、自治体が小児医療の健康保険適用外の3割を負担してくれるものの、自治体の外の病院ということで妻が平日に市役所に行って還付請求をする必要があった。自治体の制度を統合して、効率的なものへと改善してほしいと思っても、そこまでの行動を起こしている議員をすぐには見つけることができず、この状況は議員の行動を起こさせるのに必要な票の数が絶対的に足りていないということなのではないだろうか。

 あぁ、健康に生まれてよかった、あぁ、無事に小学校に上がれてよかった。そんな風に考えて良い思い出に変えて、最後には忘れ去ってしまって本当にいいのだろうか? もしかすると、遺伝病というロシアンルーレットの弾丸は、あなたやあなたの子供の頭を射抜いていたかもしれないのに。

 考えてみれば、体がまだ成長しきっていないというのが、未成年の定義であり、それゆえに未熟として投票権を与えられていないわけで、大元に立ち返れば、体が成長途中だからこそ成人とは別の医療が必要なのである。

 そう考える限り、小児医療の必要性は全国的に変わらず、何かと自治体により制度が違っていて、両親の手間や不安が増えるという現状は決して好ましくない。なるべくなら国の制度として実現したいものだ。

 どのみち私などが一人書き込んでも無駄なので、インターネットを検索してみると小児に投票権を与えようという発想は少なくないようだ。しかし、あまりまとまりがない。小児そのものに投票権を与えようという意見が多いが、やはり両親のどちらによる、子供の将来を考えた代理のもう一票という形の方が、慎重に候補者を選ぶのではないだろうか?

英文併記の意図

UNdiagnosed』にまとまりをもたせるために、節の分離作業を行っています。

 本節では、冗長と思われるかもしれないが、潜在的な誤訳の問題に対処するため、英文併記を続けている意図を記す。

 本著では、Wikipedia日本語版を調べて、そこに回答がなかった場合にWikipedia英語版のリンクを示すことが多い。技術的にはWikipedia英語版の内容を訳して私自身が日本語版に追記することも可能だが、そうしないのは、本著を記している段階では、客観的に追記するのが不可能なためである。Wikipedia日本語版をもしも記したとしたら、どうしても本著の内容に引きずられるはずなので、Wikipedia日本語版に書き足すのは避けている。しかし、いずれにしても、Wikipediaは継承ライセンスが、各ページの最下行付近で宣言されているので、将来的に本著の一部を紙書籍の形で販売したいので広めの範囲を引用、つまり転載することができない。結果的にWikipediaへのリンクは多く示すが、引用は主に英語で記された学術文献から行って、日本語訳を付けるというスタイルになっている。

 本著では今後も、英語文献から引用する際に、なるべく英語と日本語を併記して、原文を残すスタイルを取る予定である。これは、日本語の誤訳が生じた場合に、英語の方を参照してすぐに間違いに気づくようにという自分に対する部分と、読者の方々が間違いに気付いて知らせてくださるという、両方の効果を期待している。英日翻訳の仕事を通じて、結局のところ、絶対的に正しい日本語訳というのは、英文を書いた本人にしか不可能であることを認めることになった。翻訳者の専門知識が、英文著者のレベルに近ければ近いほど、より正確な日本語訳を作ることができるが、たいていの場合は、書いた本人に尋ねなければ代名詞が何を指しているかなど正確には分からず、しかし翻訳業の分野では期限が厳しいので、中道的な日本語訳で当たらず外れずといった訳を作れる翻訳が、クライアントからのクレームが少ないテクニックとして重宝されてるのが実情なのである。

 多くの翻訳会社や翻訳者が、日本語訳の商品的価値を優先して、英文を残すということをしていないが、これは科学的というよりも資本主義的で、愚かな選択である。確かに英文がなければ日本語訳が完成しているように見えやすいため、商品的価値は向上するが、誤訳があった場合に発見と訂正が非常に遅くなる。こういったエラーは知る限り医学といった科学工学および法律の翻訳分野で頻繁に生じており、教授陣が訳したことになっている、かなり有名な教科書であっても日本語版よりも原著で読めと言われるほどである。それどころか、教授陣が本当に訳したのか、本当はアルバイトとして学生に訳させたのではないかと疑うような翻訳さえある。学生や産業翻訳者が訳したものを、教授が一部だけ校正して時間的に無理になったら残りは翻訳会社の社員などで校正し、教授による「総監修/監訳」として、本当の翻訳者を示さずに売ろうとする事例は多いはずである。これは、誠実ではないが「総監修」「監訳」の意味するところが統一されていないので、必ずしも嘘をついているわけではない。本来は総監修とか監訳とかの意味するところを、教授陣が先頭にたって定義するべきなのだが、結託して定義しない方向を貫いているので、タチが悪いが嘘はついていないのである。後ろめたい部分が何もなければ、本当の翻訳者の名前を教授の後ろにずらずらと記すことにより、名前入れるからと言って翻訳料を低く抑える契約とするのが道理だと思うのだが、記さない場合というのは翻訳者の口から実情がばれないようにする方がリスク管理の点で有利なのだろうと想像する。詳しく知っているのは1例だけだが、当たり前のように翻訳会社が扱っていたことから、学術分野によっては慣例化していることのようだ。

 試みに各分野での"誤訳"との共起性をグーグルで調べてみる。2014年10月28日時点の結果である。

"誤訳" "科学" 約 305,000 件/"科学" 約 118,000,000 件=0.258%
"誤訳" "法律" 約 209,000 件/"法律" 約 149,000,000 件=0.140%
"誤訳" "物理学" 約 161,000 件/"物理学" 約 10,100,000 件=1.59%
"誤訳" "生物学" 約 142,000 件/"生物学" 約 13,000,000 件=1.09%
"誤訳" "医学" 約 105,000 件/"医学" 約 48,700,000 件=0.216%
"誤訳" "放射線" 約 50,000 件/"放射線" 約 13,100,000 件=0.382%
"誤訳" "分子生物学" 約 19,400 件/"分子生物学" 約 663,000 件=2.93%
"誤訳" "法律学" 約 7,660 件/"法律学" 約 589,000 件=1.30%
"誤訳" "放射線物理学" 約 890 件/"放射線物理学" 約 35,000 件=2.54%

上記は"誤訳"と共起させた検索結果数の順に並べたものである。これを最後に%として示した誤訳共起割合の順にすると、"分子生物学"、"放射線物理学"、"物理学"、"法律学"、"生物学"、"放射線"、"科学"、"医学"、"法律"となる。実際に検索して結果を見ていただければ分かると思うが、この順で上位となった分野は、ほんの一部の有名な教科書が主な成分である。想像以上に一部の教科書の訳質だけに分野全体が引きずられているようだ。学術分野名とは言えない一般用語の"法律"が、翻訳された定番の教科書というものに縁がないと思われるため最後になっている。最後から2番目として、失礼ながら、意外にも、医学は際立って優秀である。悲しいことに物理学は結構酷い。

 いずれにせよ、誤訳というのは、日本という英語苦手国家の社会現象であるかのように至るところに存在する。これらはほとんど、英語がそれなりに読める人口を対象にしているにも関わらず、日本語版の商品価値を優先して、英文を残さずに日本語訳だけにしてしまった弊害である。電子書籍の時代なので、多少ページ数が増えることには昔ほど拘る必要はないはずだ。逆に今後は、ページ数が増えて酷く困ると感じられてしまう分野というのは、進歩が遅いため電子書籍化が進んでいない活気のない分野とも言えるだろう。誤訳の問題に対処するため、本著では今後も英文と日本語訳を併記とする。そうすれば英語が読める読者が、私の辿々しい日本語訳に対して、英文の方が正しいのではないかと読んでくれて、自分なりに正しい解釈を導いたり、間違いを見つけてくれたりするだろう。それに加えて、多くの読者は、はっきりいうと、私と似たり寄ったりの知識レベルで、まだまだ英文を読むのに苦しんでいる方々も多いのではないかと思う。日本語訳が分かりにくければ、英文にすぐに目を通して分かりにくいと感じた原因を掴んでいただければ、最終的に皆の英語力の向上に向かうのではないかと期待できる。そうすれば、米国政府の政策として、米国の公費で行われた研究の論文を、米国民を始めとして世界中の患者が無料で読めるようにしようとしてくれている利点を、日本の患者も最大限に受けることができるのではないだろうか。この政策はNIHパブリック・アクセス義務化と呼ばれており、後々の節でもう一度ふれる。

差別か区別か - 差別用語の数値的評価

UNdiagnosed』にまとまりをもたせるために、節の分離作業を行っています。

 本著では遺伝病、劣性遺伝、ダウン症候群といった、差別用語との関連を世間で語られる言葉が満載となっている。これは私自身が軽度の遺伝病を複数患っていると思っていて、そのうち一つが劣性遺伝なので、自分のことだから差別にならないと言い訳ができたのだが、ダウン症候群にふれるにあたって、差別用語の数値的評価を試みたい。その後、差別の種類による差別の罪の大きさ、差別と区別の境界といったことにふれる。

 以下は、グーグルを用いた2014年11月19日現在の結果である。

"言葉狩り" 約 379,000 件
"差別用語" 約 920,000 件

おそらく、差別用語と述べること自体が、差別を誘発していると受け取られかねない場合があるため、また、逆に差別用語と指摘することが差別防止と考えられる場合があるため、因果関係として複雑で、差別用語の共起と、言葉狩りの共起を比較しないと、本当に差別用語として認識されているかどうか、正確には分からないものと予想される。

遺伝病の用語
"遺伝病" "差別用語" 約 8,550 件/"遺伝病" 約 256,000 件=3.34%
"劣性遺伝" "差別用語" 約 4,620 件/"劣性遺伝" 約 158,000 件=2.92%
"希少疾患" "差別用語" 約 146 件/"希少疾患" 約 49,700 件=0.294%

最初に、最も結論を得たかったこととして、本著で頻繁に登場する「遺伝病」という表現と差別用語の関連については、希少疾患だけでなく劣性遺伝よりも差別用語に関連付けられているということである。予想した以上に遺伝病という暗い響きは気になるものらしい。本著を記す間にも、何度も遺伝病の全部の表現を希少疾患に置き換えようと思ったが、希少疾患のうち染色体異常症と遺伝病を合わせて遺伝性疾患は80%なのである。科学的には、希少疾患の中には稀な感染症と、稀な自己免疫疾患が含まれているため、遺伝病と希少疾患は同一ではない。染色体異常症を除けば、遺伝病は希少疾患の7割未満であろうと思われるため、やはり遺伝病という概念を捨てて全て希少疾患と表現することはできず、状況に応じて、冗長だが、「単一遺伝子疾患」と科学的ニュアンスを強調して表現を緩和することにしたい。

ダウン症候群の用語 
"ダウン症候群" "差別用語" 約 5,290 件/"ダウン症候群" 約 168,000 件=3.15%
"ダウン症" "差別用語" 約 24,500 件/"ダウン症" 約 1,240,000 件=1.98%
"障害者" "差別用語" 約 160,000 件/"障害者" 約 19,700,000 件=0.81%
(参考) "ダウン症の人" "差別用語" 約 391,000 件/"ダウン症の人" 約 317,000 件=123%

"ダウン症の人"というのは、次のWHOの文書に基いている。

World Health Organization Human Genetics Programme. "Proposed international guidelines on ethical issues in medical genetics and genetic services (part I)." Revista de derecho y genoma humano= Law and the human genome review/Cátedra de Derecho y Genoma Humano/Fundación BBV-Diputación Foral de Bizkaia 8 (1998): 219.
『遺伝医学と遺伝サービスにおける倫理問題に関する国際ガイドライン』§
訳; 松田一郎 友枝かえで

遺伝性疾患に罹患している人に対しての非差別用語の使用は、その人の人格を強調するものである。例えば,ダウン症候群の誰か( someone with Down syndrome)を表現するのに、“ダウン症児(Down syndrome child)”や“ダウン症例(Down syndrome case)”よりも、“ダウン症の人、または子ども、(person or child of Down syndrome )”と言う方が良い。障害を持った人を非人格化する、もしくは烙印を押すような言動は避けるべきである。

しかし、"(参考)"としたのは、"ダウン症の人"というキーワードで、論理積が元のキーワードの123%となってしまっているからである。こういった現象はグーグルでしばしば見られ、おそらく[ヒットカウント分析...]の節で述べたように、グーグルによるページランクの決定アルゴリズムの組み換えと、通報の二つの原因があると思われる。通報というのは、グーグルでは『フィードバックの送信』または『Google からコンテンツを削除する』といった仕組みのことで、本来はどう呼ぶべきか分からないが、ともかく、一部のコンテンツを検索結果から外すよう、検索エンジンにリクエストする行為のことを本節では通報と呼ぶ。

 bingでも同じ検索を行った。

bing
"ダウン症の人" "差別用語" 31,200 件/"ダウン症の人" 453,000 件=6.89%
"ダウン症" "差別用語" 75,800 件/"ダウン症" 1,250,000 件=6.06%
(参考) "ダウン症候群" "差別用語" 17,400 件/"ダウン症候群" 45,500 件=38.2%
(参考) "遺伝病" "差別用語" 16,000 件/"遺伝病" 73,500 件=21.8%

bingでも問題が発生している。"ダウン症候群"がもっとも医学的な表現であるのに、約4割もが差別用語と関連しているというのはおかしい。それほど酷くはないが"遺伝病"もおかしな結果となっている。グーグルとbingの両方で、たまたまこういった現象が重なっているとは考えにくく、遺伝性疾患にまつわって通報の影響が大きいのではないかと思われる。このように通報が多いと考えられるキーワードについては、共起性分析は精度がよくないであろうということである。もはや"言葉狩り"について検索する意味はなく、グーグルやbingといった検索エンジンそのものに通報によるバイアスがかかってしまって、言ってみれば、インターネット検索そのものの上で、言葉狩りが行われているものと推測される。

 これは特定の団体が意図的にそういうことを行っているという意味ではなく、検索エンジンの方で、ページランクといった極めて高度なアルゴリズムによって、過去に通報があったパターンから将来通報がありそうなウェブページを予測して、そういったページに不快感を覚えないように、利用者がグーグル検索をより長時間利用するという行動パターンを生み出す方向へ、積極的に特定の条件で検索結果を排除している可能性がある。現在の技術水準から考えて、なるべく不自然に見えないように、こういったことが可能なレベルに達しているはずだ。以前から類似の疑惑はあり、グーグル自身を検索結果の上位にもってきているかもしれない疑惑**、障害者の活動批判に関する検索結果が同じエンジンを使っているはずのYahoo!JAPANと不一致*といった現象があった。後になってから、慎重を期してパーソナライズを切ったり、プロキシを使ってみればよかったと気付いたが、たとえそれで何か違いが分かったとしても、実際問題としていちいちパーソナライズをオン・オフしたり、プロキシをオン・オフしたりといった手間が導入できるわけではない。まずは根拠を確かなものにするために、特定のキーワードについて、一時間に一回といったペースで連続的に検索結果数の履歴をとるような仕組みをSEOのツールの中から探すことにしたい。その結果が出るのは何年も後の話になるかもしれないので、本著の範囲ではそこまで扱わない。


 差別の種類による罪の大きさについては、被差別者の意志によって変えられないものほど重く、被差別者の意志で変えられるものは軽いであろうと思われる。つまり、被差別者の側も、差別されるような行為を改善しなくてもいいというわけではない。できることはやって、それでも差別されるなら声を上げるべきであろうと思われる。[新型出生前診断...]以降の節で、生まれの平等性に徹底的にこだわっているのは、そのためである。生まれによって生物学的に違う部分というのは、生まれた後では改善の努力をしようがないことがあまりにも多い。生まれる前の段階で、できるかぎりの努力で平等性を追求すべきであって、裕福な層だけが米国で着床前診断(PGD)やら更に新型の新型出生前診断(NIPT)を受けて、貧困層だけから遺伝病や染色体異常症が生まれるというのは、あってはならないのである。しかし、日本の現状は、NIPTにより貧富の差が生まれの不平等性へと結びつくことが、半ば公的に認められたようなものだ。

 だから、遺伝性疾患のことを差別するのは、基本的には罪が重いはずである。本来は日本版GINAによって法的に守られるべきなのだ。ただし、それは、どんなことでも区別するのが許されないというわけではない。例えば、身近にある中でもっともシビアな話として、高齢者や患者が自動車を運転して事故を起こしてしまう。その結果、誰かが傷ついたほどの事故ではないとしても、家の一部にバックで自動車を突っ込まれて穴を開けられてしまったとする。発進時にアクセルをブレーキと間違えるという、疲れやすい代謝性疾患の患者や高齢者に、一番ありがちなパターンである。この場合に、運転者が高齢であったり、遺伝病の患者であったりするのを因果関係として追求することは、いけないことなのだろうか? これは私自身が加害者となって、自動車事故を起こした経験から言っている。通院中に前の車が渋滞か信号で減速したため小雨の中ブレーキを踏んだが、スリップかブレーキを踏む足の筋肉が動かなかったのか分からない間に、踏む力を増し入れしてみたつもりだったが車が止まらずに前の車の後ろに当ててしまった。幸い速度はあまり出ていなかった。保険会社が尋ねなかったこともあって、私はまだ診断されていなかったから、通院中だったと凹まされた自動車の運転者にも保険会社にも述べなかったが、正直に生きるべきかどうか相当迷うところである。診断されていて、病気であることが医学的に証明されていれば、やはり、患者が自動車を運転して事故を起こすというのは、事故が起きる頻度を健常者よりも上げているのは間違いない。しかし、問題は果たしてどこまで上がっているか、それを保険会社に伝えねばならないほどの根拠があるのか、約款と告知書ではどう指定されているのか、という話である。

 現在までの多くの自動車保険の約款については、診断されていなければ、告知の義務はないはずだし、運転免許証の身体的条件としてメガネ以外の条件が記されていなければ、警察にもそれ以外のことを知らせる義務はないはずである。しかし、今後も患者が高齢になっていって運転能力に問題のある運転者が増えているはずなのに、このままずっとそれでいいのだろうか? という疑問が浮かぶ。

 やはり、どのぐらいの被害を受けたかによって、加害者が遺伝性疾患の患者であることを健常者が追求するというのは、起こってしまうのである。遺伝性疾患だから差別してはいけないというのは確かに生まれはそうだという話だが、運転するという行為の部分は決して生まれの話ではない。遺伝性疾患を診断や治療できる大きな病院まで行くのにバスも走っていないような田舎ではそうするしかないという社会的状況に基いて、本人の意志で決めたことなのである。こういった状況は患者の高齢化によって深刻化を続けているので、ある程度、このようにオープンにして社会で議論しないと、法的整備も遅れるし、基準もつくられない。どの程度なら運転してよいのか、どの程度なら事故率はどのぐらいか、具体的に学術論文からの数値を含んだ根拠ある基準を、我々は形成すべきなのである。現在はその根拠が自動車免許の更新の時に適性試験などと証明書も何もでない形で官僚主義的にやられているから、現場的に指摘されることになって区別ではなく、差別されているという認識が生まれる。やはり、起こっている結果が人身事故という巨大な被害である以上は、根拠ある区別の基準が必要で、運転者からある程度、遺伝性疾患を含む患者を排除する仕組みは、社会全体の利益のために作る必要があるであろうと思われる。ただし、その代わりとして、運転業という労働が許可されなくなって社会的被害が出るので、どの程度の被害が出て、どの程度転職斡旋によりカバーできるのか、本当に家にいたまま運転せずに、市役所のパンフレットといった広報媒体をイラストレーターやフォトショップのフリー版みたいなもので作ったり、市役所や小学校のITの仕事を請け負ったり、そういうことも含めて転職できないのか、みんなで考えるべきなのではないだろうか。

・・・もちろん、半分は嫌味である。たいていの市役所の広報部門は毎年一括で特定の業者に外注することにほぼ決まっていて、ケースワーカーといった他の部門に言われてパンフレット作りを患者に発注するわけがない。狭い市役所の中で予算の奪い合いをやる方が、一人の患者の転職なんかよりもずっと重要なのである。それでも、厚労省のハローワークと連携する市役所が増えたり(ふるさとハローワーク)と、やれる努力をやっている市役所は存在するので、将来に希望がないわけではない。

 問題は、それまでに根拠なき区別、つまり差別によって、不当に職を負われる患者は、今後も増え続けるであろうことである。根拠をはっきりさせることは、差別とするか区別とするかの分かれ目で、しかし面倒なので見落とされがちであるため、この点は強調しておきたい。

 最後にまとめると、遺伝病という表現は、単一遺伝子疾患という科学的表現で、暗い印象を緩和するよう工夫することはできると思われるが、遺伝病という表現そのものから差別用語的なニュアンスを取り除くことは不可能である。表現を科学的に厳密化して緩和できる用語は他にもあると思われ、あらゆる用語が別々の視点から言葉狩り的に差別用語と指摘される昨今、有効と考えられる唯一の対策である。差別と区別の境界については、統計による根拠を固めないと、いつまで経っても差別はなくならない。差別を区別として皆の交通上の安全を確保するために、やはりどこまで運転を許していいのか決める前に、どういった疾患の患者で事故率がどの程度か、統計が必要である。まずは、運転を禁止したり責任を追求したりするのではなく、疾患毎の事故率を調査するために、運転者がどんな疾患の患者であったか、警察が運転者の民事上の不利益にならないように配慮しながら、可能な範囲で聴取して統計を公表する必要があるのではないだろうか。あくまで可能な範囲なので、回答しないという権利も存在すると知らせた上で行っていただくことを願ってやまない。

希少疾患を嗤う弱者達

UNdiagnosed』にまとまりをもたせるために、節の分離作業を行っています。

 [エクソームシーケンシング]の節の最後に示した画像検索へのリンクを作ってから、後の節を記そうとしても、何度、書き直しては消し、書き直しては消ししても、納得がいかず、スランプに陥って、ようやく、例の画像検索結果をリンクとして記したことが、気にしないように、憂鬱になりすぎないように意識しながらも、実は非常に気になっているのだと気付いた。ある意味、PTSDみたいなものかもしれない。

 こういった画像がセーフサーチをオンにしておいても多数表示されてしまう理由は、推測だが、こういった画像を意図して見ている人がいるからである。グーグルが不適切な画像を表示する度に、画像検索結果からフィードバックを送信していれば、ポルノと同様に検索結果として表示されなくなっているはずなので、ただ単に希少疾患について調べようとして"rare diseases"だけでこれだけのものが表示されるということは、やはり、意図して見ている人口がいるということだと推測する。平たく言うと、自分に不幸せな出来事が起こったときに「あー俺って結構幸せなんだな」と安心するために、社会的に弱い者ほどこういった画像を見て、更に下がいるのだと自分を落ち着かせているのだろうと思う。その気持ちは実は私にも分かる。

 具体的には、某有名ニュースサイトをざっと探しただけでも、新生児早老症様症候群医学的に信じられない状態にある人々の10の症例日本ではほとんど知られていない世界の奇病魚鱗癬といった記事が掲載されている。しかし、このニュースサイトはおそらくまだましな方である。なぜなら、リンク先はともかくとして、直接掲載された写真としては、先進国と思われる例ばかり選んでいるからだ。途上国からの画像では、本人の許諾がとれているのかどうかさえ分からない写真が多いが、このニュースサイトの記事はおそらくほとんどが本人か保護者にきちんと承諾を得ている。ただ、承諾を得ていることに安心すると同時に、本人や保護者が承諾した見返りに多少の金銭を得て医療費の充足に当てているという推測も成り立つ。金銭を得る事自体は悪いことではないが、同じ疾患を持つ別の患者にとっては、あのニュースと同じ病気だとからかわれる割に、自分はもうニュースとして写真を提供して金銭を得るという珍しさとしての価値はなくなったわけだから、悪いことだらけだ。

 実は、私もこのニュースサイトを愛用していて、今までそれほど写った方の立場になって考えてみたことはなかった。何となく見てはいたが、想像力が働かなかったのだ。しかし、第三世界を中心に3億人の希少疾患の患者と1億人の診断されないまま亡くなる患児達がいること、ミトコンドリアイブから辿った道でF1cという東南アジア系の人種として私自身の出身が明らかになったこと。この2つを画像検索結果と考え合わせると、とてもやるせない気持ちになるのだ。日本で難病法が2015年1月に施行が迫っていることばかり気になっていて、同じ人種の人たちがどうなっているかなんて、画像と数値とDNA検査による人種分類により、リアルとして認識するまで考えてもみなかったのだ。

 そうは言っても、結局、いったんはまずは日本をよくして、第三世界は健康保険制度からのスタートで、当面は希少疾患かどうかなどあまり重要でないと割り切ろうと、なるべく自己暗示をかけることにした。そうでないと、この著作を仕上げることさえできそうにない。

 しかし、こういった希少疾患を嗤うようなニュースが、インターネット上で年々、ひどくなっているような気がするのは、私だけだろうか。『豪で「近親相姦農場」見つかる、先天異常の子ら12人保護』といったニュースもあり、確かに先天異常だけをニュースにしているわけではなく、近親相姦もニュースにしているから、希少疾患だけを嗤っているわけではないとも言えるのだが、タイトルに「先天異常」という疾患の総称を加えることで、実質的に希少疾患の残酷さによって読者の興味を惹こうとしていると言えるだろう。無批判に放置してますます酷くなるのは問題だと思えるので、一応、ここで小さく批判を行っておく。

2015年3月25日水曜日

勤務医の過重労働、過労死、自殺=>患者の終末期宣言書?

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 一部の医師を批判したところで、やはり勤務医の過重労働、過労死、自殺の問題に言及しないとフェアではないように思う。検索で見つけられた限り、勤務医の過重労働について最も近年書かれたと思われる記事として、ハフィントンポストのものがある。

 どう形容したらいいのか、当面さらに重くなるかのような状況のようだ。当初は自殺についても調べるつもりであったが、そんなことをしても、いっそう気持ちが萎えるだけで無意味なような気がしてきたのでやめておこう。

 この状況に対して患者ができることは多くない。別の節で述べたように、私はこの3年間ほど、定期健診を受けていない。その判断には、確定診断が得られず、通院も遠くなる一方なのに、症状が年々少しづつ重くなっていくという、多少感情的な絶望の他に、アルツハイマー型痴呆症を20年間の長きに渡って患った祖母への思いが影響を与えている。祖母の口癖であった、
「人に迷惑をかけたらいかん!」
その逆の状況で20年間患ってしまって、果たして祖母は本意に死ねたと言えるのだろうか?

 定期健診を受けないことの他に、これまでに、終末期宣言書を一通、事前指示書を一通、書いている。しかし、恥ずかしながら、今取り出して調べてみると、なぜ片方が終末期宣言書で、その数年後、なぜ事前指示書を書いたのか思い出せない。しかも、事前指示書の方は原本があるが、終末期宣言書の方は事前指示書と置き換えたつもりなのか、コピーしか見つけることができない。もう少し調べてみて、現在の標準となっている形式に合わせて書き直したいと思う。ざっと検索してみたところ思ったことは、標準となっている書式がどれなのかはっきりしないのが問題なのかもしれない。

 勤務医の過重労働から話を始めて、終末期宣言書について述べている理由は、祖母のようにアルツハイマー型痴呆症となったり、意識がはっきりしなくなった場合、長期に渡って医療のリソースを食い続けることなく、早めにケリをつけたいからである。

「生きてるだけで丸儲け」
 有名なお笑いタレントが口癖にしたことで有名になったこの台詞は、確かにそういう考え方もある。しかし私は、長々と寝たきりになってしまうと、その自分が儲けた部分というのは、地域や子孫から奪ったことになっているようにも思うのである。もちろん、この台詞やタレントを批判しているわけではない。ただ、日本の医療の絶対的なリソース不足を考えた時に、私がそう感じてしまうのだ。長寿についての同様の台詞の中では、
「ピンピンコロリ」
の方に、なるべくならなりたいと思う。

 長寿は日本の誇りである。それは優れた医療技術の証であり、医師の優秀さであり、市民の健康管理の賜物である。しかし、やはり、寝たきりとなってしまった場合、自分が医療リソースを食いながら長寿となることの代償は、誰かが支払うのだと認識しなければならない。代償を支払うというのは、もちろん費用の問題もあるが、それよりもむしろ、限られた医師の手をわずらわせた分、「風が吹けば桶屋が儲かる」といったように、医師の毅然とした態度の裏に隠れて直接見えるわけではないけれども、めぐりめぐって、他の若くて自分よりも生きる価値のある患者に手が回らなくなるという恐れの方を考えたい。

 後ろ向きだ、独善的だとご批判を浴びるかもしれないが、人間は生まれてきた時点で決して平等ではないのである。進化の代償として遺伝病があり、自然受精であればどうしても一定の個体数が遺伝病を患う仕組みになっているのだ。そしてその患者数は、群としてのヒトを弱体化させない程度に抑えられている。現代医療が成立する前までそうしてきたように、社会がその僅かな人口を見捨てたとしても、生物の頂点としての人類の繁栄には何の影響も及ぼさないのである。

 しかしそれでも、現代は人間性の世紀である。先程は私自身が患者だからタブーと思われる部分に言及してしまったが、よほど倫理観の緩んだ医師でなければ、こうした意見が口にされることはないはずだ。少数派だから見捨てていいという判断は、政治的にはなおさら不可能であろう。我々日本の患者は、東南アジアの一部諸国の貧困患者の惨状を横目で見て、同じ肌の色だけどあんな国に生まれなくてよかったなどと思いながら、平等な健康保険制度に守られて生きている。

 自虐的になってしまったので、少し肯定的な考えを追加したい。

 可能な限り医師の時間を奪わない患者を育ててはどうだろうか? どのみち医師不足をカバーするために医学部に進む高校生は増加する見込みだと思う。それなら、高校生か中学生の間に、もう一歩踏み込んだ医学の知識まで教えるというのはどうだろうか? 生活科で、診察を受ける前に準備しておくべきことを教えるのもいいかもしれない。

 何十年もの長い目で見るならば、出生前診断によって、地域医療にとって重い遺伝病患者を減らすことが目標になると思う。他の節で述べるように、費用をかければ優れた出生前診断が受けられるというのは、生まれの平等性を損なうので好ましくない。なるべく平等に出生前診断を行い、遺伝病患者として生まれる絶対数を減じることで、減少した助成総額の5割以上を、減じることができずに生まれてしまった遺伝病患者の助成へと割り当てるべきだ。助成総額が減少した分、ほとんどを別の用途に回してしまっては、人間性の欠片もない単なる少数派の切り捨てとなってしまう。

 最後に、「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」という人気記事へのリンクを示しておく。何だかすごい数のコメントが下の方に付けられている。記事に数値も統計も含まれていないのが信頼性の点で少し残念である。

予期せぬ発見

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 エクソームやゲノムのシーケンシングが普及した場合の課題として、予期せぬ病的変異を発見した場合に、それを患者に伝えるかどうかということがある。

 私の場合は、代謝異常症を目的としてエクソームシーケンシングをしたのだが、WFS1という遺伝子にウォルフラム症候群という難病の変異が記されていて驚いた。具体的にはGene-talk.deでVCFファイルを表示すると、以下のように表示されたのである。
chr4
6304118dbSNP ID rs3821945WFS1 GA/A2/5missense    
ウォルフラム症候群は、常染色体劣性遺伝なので、母親由来と父親由来、合わせて2本ある染色体の両方に変異が存在して発症する。GenetypeとしてA/Aと表示されていたので、2本の染色体両方で変異が起こっているように見受けられたため、私は慌ててウォルフラム症候群の症状について調べてみた。もちろん、私の症状と一致しない。よく見ると2/5と表示されているのが、合計7回測定してうち5回の測定で変異を検出し、2回の測定で変異がないのを検出したことを意味するらしい。装置の誤差などを考慮した何らかの基準で2回変異がないのを無視してしまって、劣性遺伝の発症条件を満たさないG/Aが本当のところなのに、誤ってA/Aと表示してしまっているようだ。この場合にはウォルフラム症候群ではなく非症候性難聴という、なんとなく耳の聴こえが悪いという軽い症状の疾患をほのめかしている。実は、私は小中学校の頃から聴力検診で引っかかることが多かった。

 もしも医師がこの結果を知った場合、患者にどう知らせるべきかを考えてみる。時間に余裕がある医師なら知らせるかもしれないが、余裕がなければ知らせないだろう。しかし、もしもその患者が従兄弟と結婚していたとしたらどうだろうか? 彼らの子供がウォルフラム症候群に罹患する可能性は、配偶者にも同じ変異があったとしたら25%である。知らせるべき必要性はぐっと上がるのだが、知らされた患者の側も寝耳に水の話である。遺伝カウンセラーのいない病院では、話がややこしくなるだけだと思って、わざわざ劣性遺伝の病気の可能性について知らせるということはしないだろう。つまり知らせるかどうかの基準は現在のところ存在せず、病院により格差を生じるはずだ。

 シーケンシングによってDNA検査の可能性が広がれば広がるほど、疾患をほのめかす検査結果が出ているにも関わらず、患者にその結果を知らせないということが、これまでよりもずっと増えるということである。患者としては、シーケンシング後に遺伝カウンセラーに依頼して、潜在的な疾患を一度まとまった形で指摘してもらうことができるといいのだが、現状はカウンセリングに要した時間で患者に課金する制度のため、すんなりVCFファイルを取り扱ってもらえるとは思えない。やはり、将来的にはシーケンシングという医療サービスの中にカウンセリングも込みになっているべきものと思える。

 米国では既に一部、患者に知らせる基準の明確化が進んでいるそうである。日経のバイオ分野で活躍されている編集者の宮田満氏が発行されていた、個の医療というメーリングリストの2013年7月24日号で知った。ここでは、「予期せぬ発見」という氏の表現を使わせていただいた。

SWAN「名前のない症候群」患者会

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 ごく最近になって、米国で診断されない患者のための患者会が存在することを知った。しかし、主としてやはり小児であり、成人は今までのところ親として参加するのみのようだ。その患者会の名はSWAN USA。おそらく白鳥にかけてスワンと呼ぶのだと思われる。"Syndromes Without A Name"(名前のない症候群)の略だそうである。現在のところ小児ばかりが対象なので、正確には患者会ではなく、患児会である。本著のテーマである"UNdiagnosed"そのものの患児会であり、後々の節でも頻繁に呼称することになるため、「名前のない症候群」という訳を用いる。私が訳したもので、公式のものではない。カタカナ表記は冗長になってしまうため避けた。「名もなき症候群」ではなんとなく成人の患者会と誤解されかねないために、「名前のない症候群」と子供が覚えやすそうな平易な訳にとどめた。

 考えることは皆同じで、エクソームシーケンシングにとても積極的である。Rare Genomics Institute (RGI) の協力を得て全ゲノムシーケンシングに乗り出すかのような記述もみられる。

Syndromes Without A Name USA (SWAN USA) partners with Rare Genomics Institute (RGI) to help families have more opportunities in getting whole genome sequencing.
名前のない症候群USA(SWAN USA)は、レアゲノミクスインスティチュートとパートナーを組み、より多くのご家族が全ゲノムシーケンシングの機会を得るのを支援します。

レアゲノミクスインスティチュートは、シンガポール・マレーシアとインドに支部があって、現在のところイギリスなどに支部はないようだ。現在のところ日本支部が作られる可能性は低いだろうと思われる。

 SWAN USAは"Undiagnosed Day"として、2014年4月25日にイベントを行ったようだ。恥ずかしながら毎日のようにインターネット検索をしているつもりだったが、このイベントは全く知らなかった。気が付いたのは、グローバルジーンズという遺伝病啓発団体のウェブページで特集されていたことによる。特に何の疾患に限定したわけでもない遺伝病啓発団体は特に米国に多く、次にイギリスで、たぶんドイツなどが来て、先進国と呼ばれている国の中で一番少ないのが日本と思われる。特に何かの疾患に限定しないのは、言ってみればチャリティーイベントというお楽しみというか、オフタイムの過ごし方というか、患者以外にとってはそういう意味合いがあると思われ、それなりによいことのようだ。

 なお、SWANのオーストラリア版も見つけたので、ここに記しておく。これで米国、英国、オーストラリアと、「名前のない症候群」みんなを合計するとそれなりの患児数になりはじめている。

2015年3月23日月曜日

学術論文は誰のもの? - STAP細胞騒動の功罪

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 [エクソームシーケンシング]の節で、ACAD9欠損症という希少疾患について、Google Scholarによる検索で内容が読めるかのように表示された学術論文が、出版社のサイトまで辿ると40000円という価格を一番に表示されてショックを受けたので、なぜこういったことが起こるのか考察を行った。米国のNIHパブリックアクセス義務化という政策は、税金使途の透明性という国家予算の健全性を保つだけでなく、世界中の希少疾患の患者にとって適切な情報提供が行われる点から非常によいことだと再認識したが、そういったオープンアクセス運動への日本からのコントリビューションは想像以上に少なそうだと結論した。学術論文にまつわる騒動としてSTAP細胞騒動が起こっていたので、それについても述べる。

 ACAD9欠損症をエクソームシーケンシングから同定、診断した最も有名と思われる学術論文を、学術出版社のサイトから表示したものの、ウェブページを下にスクロールすると本文を読みたければ40000円支払うか、3300円支払うか、どちらかのボタンをクリックするよう促されている。図はこれを見た瞬間の私の気持ちを表現してみた。真ん中のReadCubeという選択肢は仕組みとして複雑なので私を含めて一般人には何のことだか分からない。学術論文をグーグルで検索すると、まるで本文が読めるかのように表示されるので、こんなときものすごく落ち込む。こういったことが起こってしまう原因を探る前に、用語が学術文献と学術論文の間で揺らいでいるため、ヒットカウント分析を行う。2014年12月14日の結果である。

"医学文献" 約 631,000 件
"科学文献" 約 605,000 件
"学術論文" 約 500,000 件
"医学論文" 約 407,000 件
"科学論文" 約 197,000 件
"学術文献" 約 56,400 件
"医療論文" 約 52,000 件
"生命科学文献" 約 35,200 件
"医療文献" 約 21,500 件
"生命科学論文" 約 15,100 件
"学術文書" 約 2,990 件
"医学生物学文献" 約 2,610 件
"科学文書" 約 1,110 件
"医学生物学論文" 約 1,090 件

意外なことに、科学や学術よりも医学と分野を絞ったほうが検索結果数が大きい。絞ると小さくなると考えるのが通常と思われるが、どうもそうではない。しかし、医学に限ると生物学の論文を含みにくくなる。そこで"医学生物学文献"と"生命科学文献"も足したが、冗長な記述になった割に検索結果数は芳しくない。科学論文とすると生物学も含まれるが、今度は医療情報工学はどうなるのだ、DICOMや、HL7といった、そこまで応用的な研究まで科学に含むとややこしいではないか、という話になる。上位から3番目の"学術論文"で統一したい。Wikipediaでも学術論文となっている。

 グーグルの検索で本文が読めるかのように表示される機能は、書籍と学術論文で処理が分かれているようで、書籍のGoogle Booksが著者か出版社から直接PDFを送るといったBooks Partner Programまたは図書館との連携で実現されているのに対し、学術論文のGoogle Scholarは学術出版社の連合とでも言うべきCrossRefというサービスを経由して実現されているようだ§。連合している出版社や学会の数は2014年10月時点で5375にものぼる*ようだ。STAP細胞騒動のNatureと同じ出版社なので、日本のせいでいい迷惑だと思って、日本からのアクセスに対してのみ厳重に課金しているのかもしれないと思わず勘ぐってしまう。

 STAP細胞騒動については、査読の真実を知れば知るほどインパクトファクターといった数値が優れた有名誌に載せるという努力は、有名誌のゆの字にも載ったことがない私が言うのも何なのだが、組織力学的に変な方向の努力だと思う。患者や一般人から見れば、学術雑誌のサイトライセンスなどに参加できるはずもなく、かといって先述のように論文あたり3300円も支払えるのは本当に自分の疾患の診断や治療に重要と分かっている場合に限られ、選択肢としては、世界中のあらゆるサイトに学術論文の本文がアーカイブされていないか網羅的に探しだしてくれているGoogle Scholarが、唯一の既成標準なのである。そしてGoogle Scholarの表示する引用元というのが文献の重要性の事実上の指標である。

 例として、[エクソームシーケンシング]の節の学術論文のPDFをGoogle Scholarで探しだす場合は、Exome sequencing identifies ACAD9 mutations as a cause of complex I deficiencyという論文タイトルをそのままにグーグルで検索するとGoogle Scholarの特定の論文と強い関連性が認められた場合は検索結果の最上位に「引用元」付きで表示される。論文タイトルをそのままではギリシャ文字などが邪魔をしてうまく検索できない場合もあり、その場合は、Google Scholarを呼び出してギリシャ文字などを徐々に削除して試すしかない。同じ論文について複数の「バージョン」を表示するために、論文のタイトルではなく、その下の「引用元」の方をクリックして、次に最上位に表示されている論文のタイトルをクリックする。この結果表示を正しくは何と呼ぶべきか分からないが、一つの論文について、世界中から探してくれた論文本文が含まれるPDFやHTMLのバージョンを列挙する表示になったはずである。[HTML]が付いているバージョンの場合には、ほぼ全文無料で読めるが、[PDF]が付いているバージョンの場合には、無料の場合だけでなく有料の場合も含まれる。しかし、以前は表示されなかったが、2014年12月現在は以下のように、ある次世代シーケンサー用品のメーカーが無料のPDFを公開してくれている。

[PDF] Exome sequencing identifies ACAD9 mutations as a cause of complex I deficiency
agilent.com の [PDF]

メーカーの手で複数の論文が1つのPDFにまとめられているが、確かに本文が含まれている。どういう契約になっているのかは分からないが、こういったメーカーは基本的にお金持ちなので、メーカーから学術出版社の方に料金が支払われているのであろう。ただし、料金を下げるために製品サイクルに合わせた期間限定の契約かもしれないので、取り急ぎダウンロードしておいた方が後悔しなくていい。

 このように見ると、やはり網羅的にインターネット上からPDFやHTMLを探しだしてくれるというのは、貧しい者にとっては非常にありがたくて、遺伝性疾患の患者の多数が医療費に圧迫されて、たとえ収入はあったとしても実質的にかなり貧乏なことが多いため、選択肢としてはGoogle Scholar以外に事実上存在しない。

 この状況では掲載されたのが有名誌かどうかなどどうでもよくて、本文が読めて、「引用元」が多い学術論文が、研究員以外という世界人口の圧倒的多数にとって、最もありがたがって読まれる学術論文なのである。むしろ、なぜ有名誌に掲載して読めないようにするのだ、程度の大小はあれどもいくらか税金を使って研究員の給料が支払われて行われたはずの研究なのに、という話になる。NIHパブリック・アクセス義務化という、米国の政策は、こういった声に答えるための政策と考えられる。

 STAP細胞騒動を振り返って、過剰に焦りながら有名誌に載せようとするのを「組織力学的に変な方向の努力」というのは、結局、引用元数という指標ができてしまっているのに、それでも記者会見やら報道発表やらで、理研という組織として、過剰に有名誌に掲載済みの重大な研究結果であることを宣伝しないといけないほど、理研の予算は少なくないはずだと思うからである。過剰に宣伝しなかった方が、逆に理研は、特定国立研究開発法人となってより多くの予算を獲得できたはずである。ものすごく頭のいい人々によって、組織力学的にものすごく頭の悪い意思決定が行われている。本来は何も宣伝などしなくても、優れた研究結果は引用元数といった指標に反映されて、その指標によって客観的に次年度の予算編成が行われるべきなのだが、指標と予算がダイレクトに連動されず、ものすごく頻繁に相談事をして組織や部門の力関係の間で予算分配が行われるのが当たり前と考えてしまっている。「指標と予算」は、学術分野が専門化されて、全体像を誰も把握できなくなる傾向が強くなるにしたがって、将来的によりダイレクトに、客観的に、自動的に連動すべきである。予算が組織の力関係によって決まるという愚かなパラダイムを、そろそろ見直すべきではないだろうか。

 ここで組織と述べたが、実は研究員は二重三重の組織構造に拘束されている。一つは所属となっている給料の支払元の組織である。二つ目は国内での予算の獲得のための組織である。STAP細胞の場合は、理研と山梨大学の研究室を含めた構成だったのだろうと思われる。三つ目は国を超えて同じ研究の発展を促進するための研究グループという、STAP細胞の場合はバカンティを含めた組織である。四つ目は学会という専門分野としての組織である。ここまでややこしいことになっているから、組織力学的な予算編成が促進されるのであって、本来ならばもっと単純化、一元化すべきではないだろうか。これがSTAP細胞過剰宣伝事件の、大元の背景なのではないだろうか。

 「過剰宣伝事件」と述べたように、過去の同分野の事件ほど、今回の事件は悪質とは思わない。最も大規模なものは、ES細胞論文不正事件であろうと思われるが、かなり意図的に組織的に生命倫理的に様々なことが行われたという意味で悪質で、これが「不正事件」とすれば、STAP細胞は「過剰宣伝事件」であろうと思われる。はっきり言ってミトコンドリアが元気になるそうなコエンザイムQ10が何年にもわたって現在もお年寄りから集めている金額が調べれば調べるほど天文学的な数値になるのに比べれば、STAP細胞騒動は偶発的である。不特定多数が算定できる金額として被害を負ったわけでもないし、誰かが南の国から持ち込んで別の誰かが死にそうになるエボラや、地震や噴火や洪水やみたいに、死者など出るはずもない。マウスの段階で再現しないのだから、ヒトでiPS細胞由来の網膜を目に入れてみるのとは重要性も違う。・・・あえて遠回しなルートまで含めれば、一番の被害者として、ヒトの膵臓ができるのを待っている膵臓がんの患者が、STAP細胞騒動の影響で研究開発が遅れて更に待たされる間に天に召される・・・ことは、確かにありうるが・・・。理研も法人格を上げられなかったし、自殺というとても不幸な形で優秀な研究者が亡くなられたことでいくらか責任をとったと考えていいように思う。小保方さんご自身も検証が甘かった点はご自分でよく分かっていると思う。そこまで分からない人はP=0.01%未満といったとても高い確度で理研は雇わない。(2015年3月時点の情報で言うと、私がかつて思っていたよりも、小保方氏の手順は意図的な不正というべきものでした。)私も3年間理研でお世話になり、平たく言うと契約更新で不採用となり理研に残れずに別の法人に雇っていただいたので多少分かる気がする。それよりも、問題はNature Geneticsと出版社である。

 40000円などという金額を表示してしまうと、STAP細胞などに興味をもってせっかく調べに来た普通の人が読んで、科学を嫌いになっていくのがまだ分からないのだろうか? 普通に1本当たり3300円と先に書けばいいのに、がんになって生きられる時間がないから死者ぐるいで治療法の論文をあさっている患者が思わず押してしまいそうなところになんで40000円のボタンを配置するのだ? 研究機関や企業の人たちはサイトライセンスで割引適用大量購入*するはずなので、このボタンの対象は思いつきで学術雑誌を購読するような研究者ではない。初めて見るから購読の市場価格を知らない人たちを狙ったもので悪質だ。ACAD9の論文についてのみ出版社がこういった表示をしているとは思えず、幹細胞の論文でも同様だろう。STAP騒動はみんなの興味を引いて日本全国、あるいは全世界で、同じ科学と倫理の話題でいっしょに勉強したという点でよい点もあった。全世界の英語を読める人口がSTAPに興味をもって学術論文を検索していると思われるので、この出版社による資本主義的に金額を提示した拒絶はとんでもない数の科学嫌いを生み出している。欧米で進化論が嫌いな神を信じる人々の気持ちが今なら私もよく分かる。一部でプレデターなどと呼ばれる出版社があるわけだ。

 オープンアクセスの達成率を調べてみることにした。2008年に厚生労働省の研究部門に相当する米国NIHにパブリック・アクセス方針という修正法案のようなものがかせられて§、患者が無料で読める医学の学術論文の範囲が劇的に広がった。一般的に無料で読めることをオープンアクセスと呼んでいて、NIHに関する場合だけパブリック・アクセス方針と称しているようだ。2014年にパブリック・アクセス方針は更に強化され、オープンアクセスの論文数が増えていることが発表されている§のだが、最も知りたいのは、全論文数に対して何割ぐらい、Nature Geneticsのように読みたいのに金額を提示されるケースがあるのかだ。結局米国について2013年の医学に限った正確な値は分からず、トータルの論文数は増えていても、オープンアクセスの割合としてはどうやら過去に期待されたほど進んでいない可能性が高い。国を区別しない限り、2008年に出版された論文のうち、分野別にMedicineで緑*13.9+金7.8=21.7%、Biochemistory, Molecular & Genetics Biologyで13.7+6.2=19.9%、Other Areas Related to Medicineで10.6+4.6=15.2%となっている。一部に英国のClinical Medicineで30.6+3.8=34.4%、34+4=38%という非常に大きな割合が示されているのだが、論文を辿っても結局なぜこんなに良い値になるのか分からなかった。

 調べた限りは、医学分野では大きく見積もっても30%程度しかオープンアクセス化が進んでいないようで、まだ当面Nature Geneticsのような表示に慣れなくてはならないようだ。日本の状況として示せるのは、Wikipedia英語版には"Open access mandate"「オープンアクセスの義務化」というページがもうけられていて、辿るとオープンアクセスの義務化をおこなった研究機関の一覧にいきつく。結局日本は2014年10月現在、国際基準でオープンアクセスをしているのは、北海道大学だけということなのだろうか? 少なくとも、英国のNature Geneticsに文句が言える立場でなさそうなのはよく分かった。

 日本でもCiNii(サイニィ)の元に学術論文が集められているではないかと言われれば、確かにそうかもしれないが、患者が無料で読める文献は英語よりも圧倒的に少ない。一ヶ国の患者だけでは希少疾患の症例数が診断基準を形成するのに少なすぎる場合があり、人類規模で症例を集めることに特に意義があるため、罹患率の小さい希少疾患ほど、英語で検索する方がよい。日本で5000も希少疾患があると考えられていない大もとの原因は、はっきり言うと、英語の文献を検索してちゃんと読める医師が限られるからである。というべきか、ほとんどの医師が大学のときには英語論文を検索するようなことを普通にやっていたはずだが、毎日多すぎる患者を診ている間にできなくなってしまっている。必然的に罹患率が非常に小さい希少疾患の多くを無視することになる。それなのに、医師の中でも支払っている者しか日本語の学術論文でさえ読めなくしてしまう現在の仕組みに、意味があるのだろうか?

 日本の患者が読めるよう、日本語の論文のオープンアクセスが増えることを願ってやまない。やはり、我々も広い意味では納税者なのである。英語圏が公費で行われた研究結果についてオープンアクセスを目指している状況下では、日本語で書かれただけで既にクローズドなのに、さらに読み手を限って更にクローズドにする意味は、すでにない。

コエンザイムQ10とミトコンドリア測定器

UNdiagnosed』にまとまりをもたせるために、節の分離作業を行っています。

 [ミトコンドリアDNAの検査]の節で、ミトコンドリアに関係する健康食品のブームが起きているが、何をどのぐらい食べたら、どのぐらい代謝能が上がったのか示す測定器の開発が軽視されているのが、問題の中核にあると述べた。コエンザイムQ10も大多数にとって効果がないとわかったため飽きられて、世代交代的に他の健康食品に置き換えられつつあるが、健康食品ブームはコエンザイムQ10をきっかけとして盛り上がった状態で継続されてしまっているため、効いたかどうかを調べる測定器開発が軽視されている状況はより一層ひどくなりつつあるようだ。

 健康食品に投資を行うよりも、少しでも安価な測定器を先行して開発した方が、ミトコンドリア病患者の体力管理にも貢献するし、お金も儲かるので遥かによかったはずなのだが、一旦、測定器抜きのまま健康食品の方でブームに火が付けられてしまったので、ほんの一部の人にしか健康食品の効果が出ないことが証明されて集団訴訟が起こされるまで止まることはないだろう。厚生労働省のサイトでコエンザイムQ10について検索した結果、現在97件表示される。国民生活センターの方はサイトの構造上検索結果へのリンクを示せないが13件であった。全部の検索結果でコエンザイムQ10が社会現象的に問題になっているというわけではなく、単にミトコンドリア病にコエンザイムQ10が関係しているといった結果も含まれている。

 ただ、コエンザイムQ10の場合は、よく学術文献で調べられているため、他の健康食品よりとても情報が多い。学術文献を参照しながら、一般向けに最も分かりやすく書かれていたのは、探した限りでは次のウェブページであった。

("コエンザイムQ10について", 国立健康・栄養研究所より)

コエンザイムQ10は過去に医薬品として用いられていたことから、健康食品にも医薬品と同じような安全性 (有効性) が期待されている面があります。しかし、同じ成分を含んでいても、健康食品では、商品の品質 (不純物混入の有無) 、商品中の表示成分含量の真偽、摂取したときの体内吸収等の特性は、医薬品と同等ではありません。そのため、“医薬品として利用されている"という言葉のみで、“コエンザイムQ10を含む健康食品の情報"を医薬品と同等に判断することはできません。
(略)
一方、食品として流通している商品は、通常は品質を確保する規格がない場合が多く、含まれる成分の含量や純度は全ての製品で必ずしも一定というわけではありません。
(略)
実際に、コエンザイムQ10の配合を謳っているにもかかわらず全くコエンザイムQ10が検出されず、違法に別の医薬品成分を添加していた事例 (5) がありました。
(略)
コエンザイムQ10は一般的に高用量でも副作用が出にくく、かなり安全性が高いと考えられています。しかし、利用方法や利用対象者によっては絶対安全とはいえません。
(略)
特に疾病治療中の人は自己判断で安易に利用せず、医師等の専門家に相談して利用することが重要です。
(略)
上記のような理由から、米国心臓学会/米国心臓協会ではコエンザイムQ10の治療目的での摂取について「心不全の治療には更に多くの科学的根拠が蓄積するまで推奨できない」 (7) 「慢性安定狭心症の治療には有益および有効ではない」 (8) と位置づけています。
(略)
また、俗に謳われている肥満解消や美容に関する無作為化比較試験は見つかりませんでした。
(略)
既に疾病を持つ方が治療目的で健康食品を摂取されることは、望ましいことではありません。健康食品はあくまでも日常の食事の補助的なものであり、病気の治療に用いるものではありません。病気の時は医薬品を用いた治療が基本です。また利用するとしても医療従事者のアドバイスを受けて利用することが必要です。
(略)
たとえば、科学的な根拠のある治療を行っている条件で、「科学的根拠の不明確な健康食品」を同時に利用することは、治療にどのような影響を及ぼすか予測できず、メリットよりもデメリットの方が高くなるかもしれません。
(略)
最も注意しなければならないことは、コエンザイムQ10が血圧や血糖値を低下させるという情報を鵜呑みにしたり、「食品は安全で、医薬品は副作用があるから」などの考えによって、自己判断で医療機関から処方されている治療薬の服用を止めてしまうことです。
(略)
コエンザイムQ10は一般的に高用量でも副作用が出にくく、かなり安全性が高いと考えられています。
(略)
日本では、医薬品として使用する場合のコエンザイムQ10の上限量は1日に30 mgです。一方、食品として流通している海外メーカーコエンザイムQ10製品のその含有量はこの医薬品上限量を遙かに超えており、日本の健康食品でも医薬品として用いられる量を超えた製品が流通しはじめています (9) 。

たくさん引用してしまったが、国立の研究所で「無断転載を禁じます」の注釈はないので、許していただけると思う。これだけコエンザイムQ10に皆が踊らされてしまった中で、ここまで丁寧にまとめていただいる文章は、とても貴重である。

 結局のところ、健康食品を食べて、ほんの少しでも気になったら、診てもらっている主治医に相談するというのが、本著では医師を批判することがどうしても多くなってしまうので多少矛盾するようだが、最も賢い選択なのだろう。DNA検査が普及するとテイラーメイド医療に近づいていくので、もっとこの傾向が強くなるはずだ。

 しかし、実際のところは、診断もままならない私のような患者が相談できる医師というのは、東京だと違うのかもしれないが、この地域に限っては、まず存在しない。結局、先に受けられる検査を増やして、陽性値どうしを突き合わせて、DNA検査をうけて解釈し、診断を得ないと主治医に相談するどころではない。しかし、同時に健康でないと思っているからこそ、藁をも掴む気持ちで、健康食品に手を出してしまうのだ。健康食品を大量に摂取するお年寄りの気持ちは、たぶん、私は同じ40歳代の方々よりも、ずっとよく分かる気がする。私も脂肪酸代謝異常症に有効な場合があるリボフラビンを試していたことがある。効果がなかったため、すぐにあきらめることになった。

 ミトコンドリア系健康食品の集団訴訟が起こったとしても、きっと参加するのは、弁護士費用を捻出できるちょっとしたお金持ちの方々ばかりなのだろう。ブームに火を付けるのに利用されてしまった研究者の先生方も、途中でこのままでは基準を作らないとマズイと気が付いた瞬間があったと思うのだが、あれよあれよという間に機会を逃し、もう自分達も巻き込まれただけという顔をするしかない状態となってしまった。いや、本当に利用されてしまっただけなのだろうか? 実は特許を調べると先生方の手元にお金が入っている気がするのは私だけだろうか?

 コエンザイムQ10の問題をうまく解決できる、ミトコンドリア機能評価測定器があるのではないかと、かなり調べてみたのだが、結論から言うと、うまくいかなかった。mtDNA検査にも、良い点と悪い点があるのを実際に受けて実感しているので、相補的に機能する他の検査を探したつもりだったが、どうも検査に必要な手順が多いことと、日本の薬事法を通過する見込みの測定器が現在存在しないことから、ミトコンドリア機能評価測定器は、まだ患者が意図して検査を受けられるものにはならないようだ。実はミトコンドリア機能評価の結果を学生が発表したPDFを真っ先に読んでしまったので、結構簡単な生検でいけるのかと思っていたら、そうでもないらしい。しかし、mtDNA検査の結果と、ミトコンドリア機能評価の結果を突き合わせる研究は大学等で今後も行われていくはずなので、将来的にはDNA検査の結果に、ミトコンドリア機能評価の成果が反映されて、DNA検査の結果シートがより詳しくなっていくのだろう。その方がどこを生検するか痛い検討をするよりも、唾液といった無侵襲で受けられるのだから。

 一応、ミトコンドリア機能評価装置について、分かった範囲でまとめておきたい。2014年12月に日本で輸入発売される新型はとても美しいデザインだ。価格は問い合わせても、先述のコエンザイムQ10批判にひいてしまったのか教えていただけなかった。古いモデルは1000万円近かったようだが、この新しいモデルはそれよりは安くなるという話である。タンデムマス検査は小児医療の予算が小さいのにプロジェクトとしては大成功して、予算が大きなはずの有権者成人層の医療で測定器が普及しないことに矛盾を感じるが、薬事法を通らないと言われてしまうと、確かにそうかもしれないと思う。大学の研究室にとってはこの機種以外にもOROBOROS O2kとか、Mito-IDという選択肢もあるようだ。理想を言えば、コエンザイムQ10が本当に有効だろうが無効だろうが、ミトコンドリア機能評価の検査が簡便化され、コエンザイムQ10の効果があるという検査結果が出た人口だけが摂取すれば、テイラーメイド医療の国家戦略というか医療施策としても、とてもよい方向にものごとは進んだだろうと思う。コエンザイムQ10の問題は(もし効能が本当だとすれば)老化と遺伝の2要素による個人差が大きな割に、摂取した人の主観的印象でしかミトコンドリア機能の評価ができないことにある。診断されていなかったミトコンドリア病患者が、2001年に報じられた有名な「北陵クリニック事件」(当初の報道では「仙台筋弛緩剤事件」と呼ばれた)にからんで、筋弛緩剤の投与で死亡しかける医療過誤が起こったのも、もしも機能評価の検査が簡便化されているか、mtDNAの検査方法が知られているか、どちらかであれば避けられたはずで、問題の根は同じであろうと思われる。なお、このミトコンドリア病患者は、詳しい状況は分からないが、現在も適切な治療を受けられていないようだ。ミトコンドリア病のうち、この患者と同じタイプを、ダーウィンも患っていたという仮説があるので、[ダーウィンのUNdiagnosed]の節でミトコンドリア病および事件についてもう一度触れたい。