『UNdiagnosed』にまとまりをもたせるために、節の分離作業を行っています。
小児の投票権というのは、ずいぶん乱暴な意見だとみなされることは承知している。それでも、少子高齢化の今だからこそ、問題提起を本格化すべきだと思う。ただ、本当に小児に投票権を与えようと主張するわけではない。小児向けの法案が国会を通過しやすくするために、小児の両親のどちらかによるもう1票をもうけてもいいのではないか、という意見である。
本著で扱っている遺伝病ひいては希少疾患と、小児医療の関係について、少し整理をしておきたいと思う。ヒトがヒトの姿形で生を受けるのを決定づけているのはDNAである。それゆえDNAの病的変異は胎児や新生児の段階で発症していることが多い。その後も体が成長を続けている間は、希少疾患を発症することが多いが、成人となって安定する。一部の疾患の例外はあるが、全体的な傾向として、年齢を経るにしたがって、希少疾患よりも成人病を含むコモンディジーズが相対的に多くなる。必然的に小児医療は成人医療と比較して、希少疾患のウェイトが大きい。EUの患者会の連合組織であるEURORDISによると希少疾患の患者の約半数が18歳以下である。
高齢化が進むにつれて、医療政策の中心年齢も上がっている。つまり現代医療は成人病やガンといったコモンディジーズをより重視するものへと変わってきた。単純計算で考えても、寿命が60歳だった時代には、10歳までの医療は6分の1の重みであったが、約90歳となった今では、10歳までの医療は9分の1の重みへと減じられている。加えて、成長途中を扱う小児医療は特殊なので、成人以降の医療とは別に考えなければならない。しかし、最大多数の最大幸福を求める民主主義が機能すればするほど、少子高齢化の日本では、成人向け医療のウェイトが上がって小児医療のウェイトが下がるのは、民主主義国家の宿命として避けられない。
「動脈硬化性疾患は、壮年期の働き盛りの患者に多発するため社会的損失が大きく」
このような主張がが恥ずかしげもなく行なわれるようになって久しいが、ならば日本国憲法第14条として掲げている法の下の平等は何なのだと問いたい。働き盛りの患者を守る法案ばかりが通って、まだ働いてもおらず役に立たない遺伝病の小児を守る法案は通らなくてもいいというのであろうか? 確かに社会的損失は小さいが、それでも生命はなるべく平等に守られるべきではないだろうか? 極端な話、90歳の老人に健康保険で生涯まかなった医療費と同じ額を、重症の患児が死亡するまでの間に支払い可能とする。そういう絶対的な医療経済的な平等が実現したら、遺伝病の研究はどれだけ進歩することかと想像したことがあった。しかし、そこまで至るまでには何世紀もかかることだろう。取り急ぎ今後数十年の間には、世界一の長寿国として、せめて高齢化に対応した小児医療のバランス回復を行うべきではないだろうか?
確かに、憲法の掲げる平等選挙の概念と矛盾するかもしれない。どんな人間に対しても一人一票が原則なのは分かるが、法の下の平等というのは、法体系的に平等選挙よりも上位の概念のはずである。と言っても、専門家ではないので見かけ上そう思えるという主張にすぎないので、間違っていたら、どなたか正確なところを教えていただけるとありがたい。そして、憲法で掲げるもう一つの概念である生存権を考えた時、小児医療の法案が成人向け医療の法案よりも通りにくいことで小児の生存権が侵されているものを、両親の片方に対して代理投票権を付与することで補完するのは適切とは考えられないだろうか? 小児へのインフォームド・コンセントを、インフォームド・アセントと呼んで両親を含んだ特殊な形のインフォームド・コンセントとして実施すべきと言われるのだから、投票権も両親を交えて特別な形で付与していいのではないだろうか?
正直に言ってしまうと、私自身も喉元過ぎれば熱さを忘れるとそしられても仕方がない立場だ。息子が筋弛緩様の症状を示していたおよそ7歳までの間は、なんでこんなに両親にばかり負担を求める社会制度になっているのだろうと不満ばかりだった。子供をもうけて初めて知ることになる制度ばかりで、しかも第二子をもうける気は全くなかったことから、すでにどんな制度上の矛盾に困っていたか忘れつつある。経済的援助というのは多くが間接的で、一度が両親が支払う形の費用を還付請求を適切に行うことで補うというパターンが多かったように記憶している。息子がO大学病院の診察を受けた際にも、自治体が小児医療の健康保険適用外の3割を負担してくれるものの、自治体の外の病院ということで妻が平日に市役所に行って還付請求をする必要があった。自治体の制度を統合して、効率的なものへと改善してほしいと思っても、そこまでの行動を起こしている議員をすぐには見つけることができず、この状況は議員の行動を起こさせるのに必要な票の数が絶対的に足りていないということなのではないだろうか。
あぁ、健康に生まれてよかった、あぁ、無事に小学校に上がれてよかった。そんな風に考えて良い思い出に変えて、最後には忘れ去ってしまって本当にいいのだろうか? もしかすると、遺伝病というロシアンルーレットの弾丸は、あなたやあなたの子供の頭を射抜いていたかもしれないのに。
考えてみれば、体がまだ成長しきっていないというのが、未成年の定義であり、それゆえに未熟として投票権を与えられていないわけで、大元に立ち返れば、体が成長途中だからこそ成人とは別の医療が必要なのである。
そう考える限り、小児医療の必要性は全国的に変わらず、何かと自治体により制度が違っていて、両親の手間や不安が増えるという現状は決して好ましくない。なるべくなら国の制度として実現したいものだ。
どのみち私などが一人書き込んでも無駄なので、インターネットを検索してみると小児に投票権を与えようという発想は少なくないようだ。しかし、あまりまとまりがない。小児そのものに投票権を与えようという意見が多いが、やはり両親のどちらによる、子供の将来を考えた代理のもう一票という形の方が、慎重に候補者を選ぶのではないだろうか?
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