2015年3月25日水曜日

勤務医の過重労働、過労死、自殺=>患者の終末期宣言書?

UNdiagnosed』にまとまりをもたせるために、節の分離作業を行っています。

 一部の医師を批判したところで、やはり勤務医の過重労働、過労死、自殺の問題に言及しないとフェアではないように思う。検索で見つけられた限り、勤務医の過重労働について最も近年書かれたと思われる記事として、ハフィントンポストのものがある。

 どう形容したらいいのか、当面さらに重くなるかのような状況のようだ。当初は自殺についても調べるつもりであったが、そんなことをしても、いっそう気持ちが萎えるだけで無意味なような気がしてきたのでやめておこう。

 この状況に対して患者ができることは多くない。別の節で述べたように、私はこの3年間ほど、定期健診を受けていない。その判断には、確定診断が得られず、通院も遠くなる一方なのに、症状が年々少しづつ重くなっていくという、多少感情的な絶望の他に、アルツハイマー型痴呆症を20年間の長きに渡って患った祖母への思いが影響を与えている。祖母の口癖であった、
「人に迷惑をかけたらいかん!」
その逆の状況で20年間患ってしまって、果たして祖母は本意に死ねたと言えるのだろうか?

 定期健診を受けないことの他に、これまでに、終末期宣言書を一通、事前指示書を一通、書いている。しかし、恥ずかしながら、今取り出して調べてみると、なぜ片方が終末期宣言書で、その数年後、なぜ事前指示書を書いたのか思い出せない。しかも、事前指示書の方は原本があるが、終末期宣言書の方は事前指示書と置き換えたつもりなのか、コピーしか見つけることができない。もう少し調べてみて、現在の標準となっている形式に合わせて書き直したいと思う。ざっと検索してみたところ思ったことは、標準となっている書式がどれなのかはっきりしないのが問題なのかもしれない。

 勤務医の過重労働から話を始めて、終末期宣言書について述べている理由は、祖母のようにアルツハイマー型痴呆症となったり、意識がはっきりしなくなった場合、長期に渡って医療のリソースを食い続けることなく、早めにケリをつけたいからである。

「生きてるだけで丸儲け」
 有名なお笑いタレントが口癖にしたことで有名になったこの台詞は、確かにそういう考え方もある。しかし私は、長々と寝たきりになってしまうと、その自分が儲けた部分というのは、地域や子孫から奪ったことになっているようにも思うのである。もちろん、この台詞やタレントを批判しているわけではない。ただ、日本の医療の絶対的なリソース不足を考えた時に、私がそう感じてしまうのだ。長寿についての同様の台詞の中では、
「ピンピンコロリ」
の方に、なるべくならなりたいと思う。

 長寿は日本の誇りである。それは優れた医療技術の証であり、医師の優秀さであり、市民の健康管理の賜物である。しかし、やはり、寝たきりとなってしまった場合、自分が医療リソースを食いながら長寿となることの代償は、誰かが支払うのだと認識しなければならない。代償を支払うというのは、もちろん費用の問題もあるが、それよりもむしろ、限られた医師の手をわずらわせた分、「風が吹けば桶屋が儲かる」といったように、医師の毅然とした態度の裏に隠れて直接見えるわけではないけれども、めぐりめぐって、他の若くて自分よりも生きる価値のある患者に手が回らなくなるという恐れの方を考えたい。

 後ろ向きだ、独善的だとご批判を浴びるかもしれないが、人間は生まれてきた時点で決して平等ではないのである。進化の代償として遺伝病があり、自然受精であればどうしても一定の個体数が遺伝病を患う仕組みになっているのだ。そしてその患者数は、群としてのヒトを弱体化させない程度に抑えられている。現代医療が成立する前までそうしてきたように、社会がその僅かな人口を見捨てたとしても、生物の頂点としての人類の繁栄には何の影響も及ぼさないのである。

 しかしそれでも、現代は人間性の世紀である。先程は私自身が患者だからタブーと思われる部分に言及してしまったが、よほど倫理観の緩んだ医師でなければ、こうした意見が口にされることはないはずだ。少数派だから見捨てていいという判断は、政治的にはなおさら不可能であろう。我々日本の患者は、東南アジアの一部諸国の貧困患者の惨状を横目で見て、同じ肌の色だけどあんな国に生まれなくてよかったなどと思いながら、平等な健康保険制度に守られて生きている。

 自虐的になってしまったので、少し肯定的な考えを追加したい。

 可能な限り医師の時間を奪わない患者を育ててはどうだろうか? どのみち医師不足をカバーするために医学部に進む高校生は増加する見込みだと思う。それなら、高校生か中学生の間に、もう一歩踏み込んだ医学の知識まで教えるというのはどうだろうか? 生活科で、診察を受ける前に準備しておくべきことを教えるのもいいかもしれない。

 何十年もの長い目で見るならば、出生前診断によって、地域医療にとって重い遺伝病患者を減らすことが目標になると思う。他の節で述べるように、費用をかければ優れた出生前診断が受けられるというのは、生まれの平等性を損なうので好ましくない。なるべく平等に出生前診断を行い、遺伝病患者として生まれる絶対数を減じることで、減少した助成総額の5割以上を、減じることができずに生まれてしまった遺伝病患者の助成へと割り当てるべきだ。助成総額が減少した分、ほとんどを別の用途に回してしまっては、人間性の欠片もない単なる少数派の切り捨てとなってしまう。

 最後に、「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」という人気記事へのリンクを示しておく。何だかすごい数のコメントが下の方に付けられている。記事に数値も統計も含まれていないのが信頼性の点で少し残念である。

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