2015年3月26日木曜日

差別か区別か - 差別用語の数値的評価

UNdiagnosed』にまとまりをもたせるために、節の分離作業を行っています。

 本著では遺伝病、劣性遺伝、ダウン症候群といった、差別用語との関連を世間で語られる言葉が満載となっている。これは私自身が軽度の遺伝病を複数患っていると思っていて、そのうち一つが劣性遺伝なので、自分のことだから差別にならないと言い訳ができたのだが、ダウン症候群にふれるにあたって、差別用語の数値的評価を試みたい。その後、差別の種類による差別の罪の大きさ、差別と区別の境界といったことにふれる。

 以下は、グーグルを用いた2014年11月19日現在の結果である。

"言葉狩り" 約 379,000 件
"差別用語" 約 920,000 件

おそらく、差別用語と述べること自体が、差別を誘発していると受け取られかねない場合があるため、また、逆に差別用語と指摘することが差別防止と考えられる場合があるため、因果関係として複雑で、差別用語の共起と、言葉狩りの共起を比較しないと、本当に差別用語として認識されているかどうか、正確には分からないものと予想される。

遺伝病の用語
"遺伝病" "差別用語" 約 8,550 件/"遺伝病" 約 256,000 件=3.34%
"劣性遺伝" "差別用語" 約 4,620 件/"劣性遺伝" 約 158,000 件=2.92%
"希少疾患" "差別用語" 約 146 件/"希少疾患" 約 49,700 件=0.294%

最初に、最も結論を得たかったこととして、本著で頻繁に登場する「遺伝病」という表現と差別用語の関連については、希少疾患だけでなく劣性遺伝よりも差別用語に関連付けられているということである。予想した以上に遺伝病という暗い響きは気になるものらしい。本著を記す間にも、何度も遺伝病の全部の表現を希少疾患に置き換えようと思ったが、希少疾患のうち染色体異常症と遺伝病を合わせて遺伝性疾患は80%なのである。科学的には、希少疾患の中には稀な感染症と、稀な自己免疫疾患が含まれているため、遺伝病と希少疾患は同一ではない。染色体異常症を除けば、遺伝病は希少疾患の7割未満であろうと思われるため、やはり遺伝病という概念を捨てて全て希少疾患と表現することはできず、状況に応じて、冗長だが、「単一遺伝子疾患」と科学的ニュアンスを強調して表現を緩和することにしたい。

ダウン症候群の用語 
"ダウン症候群" "差別用語" 約 5,290 件/"ダウン症候群" 約 168,000 件=3.15%
"ダウン症" "差別用語" 約 24,500 件/"ダウン症" 約 1,240,000 件=1.98%
"障害者" "差別用語" 約 160,000 件/"障害者" 約 19,700,000 件=0.81%
(参考) "ダウン症の人" "差別用語" 約 391,000 件/"ダウン症の人" 約 317,000 件=123%

"ダウン症の人"というのは、次のWHOの文書に基いている。

World Health Organization Human Genetics Programme. "Proposed international guidelines on ethical issues in medical genetics and genetic services (part I)." Revista de derecho y genoma humano= Law and the human genome review/Cátedra de Derecho y Genoma Humano/Fundación BBV-Diputación Foral de Bizkaia 8 (1998): 219.
『遺伝医学と遺伝サービスにおける倫理問題に関する国際ガイドライン』§
訳; 松田一郎 友枝かえで

遺伝性疾患に罹患している人に対しての非差別用語の使用は、その人の人格を強調するものである。例えば,ダウン症候群の誰か( someone with Down syndrome)を表現するのに、“ダウン症児(Down syndrome child)”や“ダウン症例(Down syndrome case)”よりも、“ダウン症の人、または子ども、(person or child of Down syndrome )”と言う方が良い。障害を持った人を非人格化する、もしくは烙印を押すような言動は避けるべきである。

しかし、"(参考)"としたのは、"ダウン症の人"というキーワードで、論理積が元のキーワードの123%となってしまっているからである。こういった現象はグーグルでしばしば見られ、おそらく[ヒットカウント分析...]の節で述べたように、グーグルによるページランクの決定アルゴリズムの組み換えと、通報の二つの原因があると思われる。通報というのは、グーグルでは『フィードバックの送信』または『Google からコンテンツを削除する』といった仕組みのことで、本来はどう呼ぶべきか分からないが、ともかく、一部のコンテンツを検索結果から外すよう、検索エンジンにリクエストする行為のことを本節では通報と呼ぶ。

 bingでも同じ検索を行った。

bing
"ダウン症の人" "差別用語" 31,200 件/"ダウン症の人" 453,000 件=6.89%
"ダウン症" "差別用語" 75,800 件/"ダウン症" 1,250,000 件=6.06%
(参考) "ダウン症候群" "差別用語" 17,400 件/"ダウン症候群" 45,500 件=38.2%
(参考) "遺伝病" "差別用語" 16,000 件/"遺伝病" 73,500 件=21.8%

bingでも問題が発生している。"ダウン症候群"がもっとも医学的な表現であるのに、約4割もが差別用語と関連しているというのはおかしい。それほど酷くはないが"遺伝病"もおかしな結果となっている。グーグルとbingの両方で、たまたまこういった現象が重なっているとは考えにくく、遺伝性疾患にまつわって通報の影響が大きいのではないかと思われる。このように通報が多いと考えられるキーワードについては、共起性分析は精度がよくないであろうということである。もはや"言葉狩り"について検索する意味はなく、グーグルやbingといった検索エンジンそのものに通報によるバイアスがかかってしまって、言ってみれば、インターネット検索そのものの上で、言葉狩りが行われているものと推測される。

 これは特定の団体が意図的にそういうことを行っているという意味ではなく、検索エンジンの方で、ページランクといった極めて高度なアルゴリズムによって、過去に通報があったパターンから将来通報がありそうなウェブページを予測して、そういったページに不快感を覚えないように、利用者がグーグル検索をより長時間利用するという行動パターンを生み出す方向へ、積極的に特定の条件で検索結果を排除している可能性がある。現在の技術水準から考えて、なるべく不自然に見えないように、こういったことが可能なレベルに達しているはずだ。以前から類似の疑惑はあり、グーグル自身を検索結果の上位にもってきているかもしれない疑惑**、障害者の活動批判に関する検索結果が同じエンジンを使っているはずのYahoo!JAPANと不一致*といった現象があった。後になってから、慎重を期してパーソナライズを切ったり、プロキシを使ってみればよかったと気付いたが、たとえそれで何か違いが分かったとしても、実際問題としていちいちパーソナライズをオン・オフしたり、プロキシをオン・オフしたりといった手間が導入できるわけではない。まずは根拠を確かなものにするために、特定のキーワードについて、一時間に一回といったペースで連続的に検索結果数の履歴をとるような仕組みをSEOのツールの中から探すことにしたい。その結果が出るのは何年も後の話になるかもしれないので、本著の範囲ではそこまで扱わない。


 差別の種類による罪の大きさについては、被差別者の意志によって変えられないものほど重く、被差別者の意志で変えられるものは軽いであろうと思われる。つまり、被差別者の側も、差別されるような行為を改善しなくてもいいというわけではない。できることはやって、それでも差別されるなら声を上げるべきであろうと思われる。[新型出生前診断...]以降の節で、生まれの平等性に徹底的にこだわっているのは、そのためである。生まれによって生物学的に違う部分というのは、生まれた後では改善の努力をしようがないことがあまりにも多い。生まれる前の段階で、できるかぎりの努力で平等性を追求すべきであって、裕福な層だけが米国で着床前診断(PGD)やら更に新型の新型出生前診断(NIPT)を受けて、貧困層だけから遺伝病や染色体異常症が生まれるというのは、あってはならないのである。しかし、日本の現状は、NIPTにより貧富の差が生まれの不平等性へと結びつくことが、半ば公的に認められたようなものだ。

 だから、遺伝性疾患のことを差別するのは、基本的には罪が重いはずである。本来は日本版GINAによって法的に守られるべきなのだ。ただし、それは、どんなことでも区別するのが許されないというわけではない。例えば、身近にある中でもっともシビアな話として、高齢者や患者が自動車を運転して事故を起こしてしまう。その結果、誰かが傷ついたほどの事故ではないとしても、家の一部にバックで自動車を突っ込まれて穴を開けられてしまったとする。発進時にアクセルをブレーキと間違えるという、疲れやすい代謝性疾患の患者や高齢者に、一番ありがちなパターンである。この場合に、運転者が高齢であったり、遺伝病の患者であったりするのを因果関係として追求することは、いけないことなのだろうか? これは私自身が加害者となって、自動車事故を起こした経験から言っている。通院中に前の車が渋滞か信号で減速したため小雨の中ブレーキを踏んだが、スリップかブレーキを踏む足の筋肉が動かなかったのか分からない間に、踏む力を増し入れしてみたつもりだったが車が止まらずに前の車の後ろに当ててしまった。幸い速度はあまり出ていなかった。保険会社が尋ねなかったこともあって、私はまだ診断されていなかったから、通院中だったと凹まされた自動車の運転者にも保険会社にも述べなかったが、正直に生きるべきかどうか相当迷うところである。診断されていて、病気であることが医学的に証明されていれば、やはり、患者が自動車を運転して事故を起こすというのは、事故が起きる頻度を健常者よりも上げているのは間違いない。しかし、問題は果たしてどこまで上がっているか、それを保険会社に伝えねばならないほどの根拠があるのか、約款と告知書ではどう指定されているのか、という話である。

 現在までの多くの自動車保険の約款については、診断されていなければ、告知の義務はないはずだし、運転免許証の身体的条件としてメガネ以外の条件が記されていなければ、警察にもそれ以外のことを知らせる義務はないはずである。しかし、今後も患者が高齢になっていって運転能力に問題のある運転者が増えているはずなのに、このままずっとそれでいいのだろうか? という疑問が浮かぶ。

 やはり、どのぐらいの被害を受けたかによって、加害者が遺伝性疾患の患者であることを健常者が追求するというのは、起こってしまうのである。遺伝性疾患だから差別してはいけないというのは確かに生まれはそうだという話だが、運転するという行為の部分は決して生まれの話ではない。遺伝性疾患を診断や治療できる大きな病院まで行くのにバスも走っていないような田舎ではそうするしかないという社会的状況に基いて、本人の意志で決めたことなのである。こういった状況は患者の高齢化によって深刻化を続けているので、ある程度、このようにオープンにして社会で議論しないと、法的整備も遅れるし、基準もつくられない。どの程度なら運転してよいのか、どの程度なら事故率はどのぐらいか、具体的に学術論文からの数値を含んだ根拠ある基準を、我々は形成すべきなのである。現在はその根拠が自動車免許の更新の時に適性試験などと証明書も何もでない形で官僚主義的にやられているから、現場的に指摘されることになって区別ではなく、差別されているという認識が生まれる。やはり、起こっている結果が人身事故という巨大な被害である以上は、根拠ある区別の基準が必要で、運転者からある程度、遺伝性疾患を含む患者を排除する仕組みは、社会全体の利益のために作る必要があるであろうと思われる。ただし、その代わりとして、運転業という労働が許可されなくなって社会的被害が出るので、どの程度の被害が出て、どの程度転職斡旋によりカバーできるのか、本当に家にいたまま運転せずに、市役所のパンフレットといった広報媒体をイラストレーターやフォトショップのフリー版みたいなもので作ったり、市役所や小学校のITの仕事を請け負ったり、そういうことも含めて転職できないのか、みんなで考えるべきなのではないだろうか。

・・・もちろん、半分は嫌味である。たいていの市役所の広報部門は毎年一括で特定の業者に外注することにほぼ決まっていて、ケースワーカーといった他の部門に言われてパンフレット作りを患者に発注するわけがない。狭い市役所の中で予算の奪い合いをやる方が、一人の患者の転職なんかよりもずっと重要なのである。それでも、厚労省のハローワークと連携する市役所が増えたり(ふるさとハローワーク)と、やれる努力をやっている市役所は存在するので、将来に希望がないわけではない。

 問題は、それまでに根拠なき区別、つまり差別によって、不当に職を負われる患者は、今後も増え続けるであろうことである。根拠をはっきりさせることは、差別とするか区別とするかの分かれ目で、しかし面倒なので見落とされがちであるため、この点は強調しておきたい。

 最後にまとめると、遺伝病という表現は、単一遺伝子疾患という科学的表現で、暗い印象を緩和するよう工夫することはできると思われるが、遺伝病という表現そのものから差別用語的なニュアンスを取り除くことは不可能である。表現を科学的に厳密化して緩和できる用語は他にもあると思われ、あらゆる用語が別々の視点から言葉狩り的に差別用語と指摘される昨今、有効と考えられる唯一の対策である。差別と区別の境界については、統計による根拠を固めないと、いつまで経っても差別はなくならない。差別を区別として皆の交通上の安全を確保するために、やはりどこまで運転を許していいのか決める前に、どういった疾患の患者で事故率がどの程度か、統計が必要である。まずは、運転を禁止したり責任を追求したりするのではなく、疾患毎の事故率を調査するために、運転者がどんな疾患の患者であったか、警察が運転者の民事上の不利益にならないように配慮しながら、可能な範囲で聴取して統計を公表する必要があるのではないだろうか。あくまで可能な範囲なので、回答しないという権利も存在すると知らせた上で行っていただくことを願ってやまない。

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